東日本大震災の被災地調査の2日目。井手よしひろ県議は、岩手県の宮古市中心街、宮古市田老地区、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市を経て、気仙沼市まで、ほぼ国道45号線に沿って岩手県を縦断しました。
 各地域地域の被災状況は深刻で、震災から100日以上たった現在でも復興が眼に見えて進んでいる地域は殆どありませんでした。被災した建物の解体や瓦礫の撤去状況は、地域により格差が生じており、今後の大きな課題となると思われます。
 宮古市では、井手県議の大学時代の同期生と再開。生保と損保業を営む同氏より、震災の状況や被災者の状況などを伺いことができました。「震災復興時に、宮古市の基盤産業である漁業が復活できるのか、その中核の方々が高齢であることが心配。自分も会社の基盤も花巻などの内陸部に移転することを検討している」と、率直なご意見を伺いました。
 宮古市田老地区では、田老堤を視察。「日本一の防潮堤」「万里の長城」と、地域の住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた高さ10メートルの2重の巨大防潮堤。今回の津波では、その膨張を大きく超える津波が襲来し、一部は破損、軽々と防潮堤を乗り越え、田老地区は壊滅しました。
 岩手県の海岸部を宮古市から南下すると、津波の被害が次第に甚大になってきます。特に、陸前高田市のその状況は、なんと形容していいか言葉を失う光景が続いていました。多くの市職員も犠牲となった陸前高田市役所を訪れ、しばし黙祷を捧げました。市役所の3階までの窓ガラスは打ち壊され、一階部のコンクリートの壁も津波の圧力で抜けています。海岸から2キロ近く離れている市役所がこれだけの被害をうけるとは、誰が想像したでしょうか。ポツンと立てられた鯉のぼりが寂しく瓦礫の海に泳いでいました。
(掲載したスライショーは井手県議が撮影した写真に、Watsonさん作成の音楽を使わせていただきました。Copyright(c) 2007-2011 MusMus