宮城県気仙沼市の被災状況を調査

南三陸町の被災状況を調査

南三陸町の臨時庁舎を訪れ災害対策本部を陣中見舞い(茨城産のメロンを差し入れしました)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。南三陸町には役場の本庁舎と別に、災害対策用の防災庁舎が建てられていました。この防災庁舎は、地震直後、危機管理課の24歳の女性職員が、防災無線で津波到達の寸前まで避難を呼び掛け、自らは津波に流されて命を落とすという悲劇の現場となりました。
 その後、防災庁舎は赤錆びた鉄骨の骨組みだけが残り、津波で流されてきた魚網や瓦礫をまとわりつかせながら、荒涼とした市街地に忽然とそびえていました。外壁はすっかり破壊され、外からは倒壊した什器や事務机、防災機器などが丸見えの状態でした。その異様な光景は、南三陸町津波被害の象徴として、繰り返しマスコミに紹介されました。
 各地の消防OBらでつくるボランティアグループ「集結」が、6月中旬から町の許可を得て防災庁舎の清掃を行ってきました。床のがれきや鉄骨に絡みついた漁具を一つ一つ撤去し、床などにこびりついた泥は高圧ポンプの水で洗い流しました。
 井手よしひろ県議が訪れた25日には、多くのボランティアや防災関係者が、正面に備えられた祭壇に手を合わせていました。
参考:防災庁舎から見た津波の模様

歩数【2000】歩・移動距離【412】km