原発から放射能が飛んできて、人がバタバタ死ぬようなことは起こらないのだと、3月11日の地震から4ヵ月半たって、みなさんわかってきたと思います。案外たいしたことなかったと思っている人が多いように見受けられます。
 しかし、3月15日と21〜23日に東日本各地に広がった放射能は、これから何年も何十年も日本国を苦しめます。一見何も変わらない景色が目の前に広がっていますが、それは3月11日以前とはまったく違ってしまっています。都市だけでなく山もひどく汚染されてしまったことが私はとくに残念です。
 この放射能汚染の実態がどうであるかを正確につかむため、私は4月8日以来、地図をつくることに熱中しました。つくった地図はすみやかに公表してきました。
早川由紀夫の火山ブログ「自発的に解決してください」2011/7/28より引用)

 群馬大学教育学部の早川由紀夫教授(火山学)は、福島第一原発から拡散した放射性物質の広がりを、詳細な地図として公開してきました。4月21日に初版が、6月18日に改訂版が、そして7月26日に三訂版がリリースされました。
 この地図には、地上1メートルの放射線の値が、8マイクロシーベルト/時(μSv/h)を最大として、4μSv/h、2μSv/h、1μSv/h、0.5μSv/h、0.25μSv/hの6段階の等値線が描かれています。
クリックするとオリジナルの地図にアクセスします。
 早川教授によると、放射能汚染の分布を決める第一位の要因は“風”です。福島原発から漏れた放射性物質は地表風に乗って移動しました。当時の気象データから分析すると、上空1キロ以上の風では、現在の放射能の分布は説明できないそうです。放射性物質は高さ数十メートルの風に乗って地表をなめるように移動しました。盆地や山肌など地形の起伏を感じ取って分布しているのはそのためです。
 早川教授の地図をみると、大まかに3つの方向の流れを見て取ることが出来ます。これは、放射能が流れたタイミングの違いによるものとされています。
 第一の流れは、3月12日、福島原発から北上して北へ向かって一関市方面に向かいました。3月12日21時に南相馬市を通過しました。
 第二の流れは、3月15日未明、北風に乗って南へ向かって放射能は早朝4時にいわき市を通過。茨城県の水戸付近で2方向に分かれ、一方は9時半に東京に、もう一方は群馬、長野、新潟方面に流れました。12時に前橋市に達したあと、夕刻以降に軽井沢町と沼田市に届きました。
 15日夕方から風向きが変わり、18時には福島県の飯舘村周辺が深刻な影響を受けました。「その日は夕刻になって福島原発に吹きつける風が南東からに変わった。これが福島県にとって悪魔の風となった。特別に濃い放射能雲が出現して19時に福島市、20時半に郡山市に達した。郡山市はその日午後に南から汚染されたあと、夜になってふたたび北から汚染されたわけだ。この放射能雲は白河の関を越えて栃木県内に侵入し、那須と日光に達した」と、早川教授は記しています。
 そして第三の流れは、3月21日〜23日。21日6時に水戸市を通過した放射能雲は、9時に東京新宿に達しました。この3日間、放射性物質を含んだ空気と南からやってきた湿った空気とがぶつかり、関東地方には強い雨が断続的に降り続きました。千葉県の東葛地方や茨城県南部(取手市や守谷市)にみられるホット・スポットは、この時の放射能雲の濃度または雨によってつくられました。
 早川教授は、福島原発で起こった水蒸気爆発と汚染のタイミングは合わないと指摘します。「1号機は3月12日15時36分に爆発した。3号機は3月14日11時01分に爆発した。福島原発から大量の放射性物質が漏れたのは、爆発の瞬間ではなかった。爆発からしばらく時間を置いて、原発建屋から音もなく静かに漏れ出したようにみえる」と。
参考:早川由紀夫教授の作成した放射能の広がりを示す地図(三訂版)
グーグルマップ版(0.45MB)通常のウェブ閲覧用
電子国土版(1.7MB)細かく見たい人用
PDF版(2.6MB)A4版程度の印刷用
AdobeイラストレーターCS3版(11.2MB:ZIPファイル)高品位印刷あるいはデータ加工用