参考写真 東日本大震災による東電福島第1発電所の事故を受けて、原子力発電所の閉鎖=原子炉の廃炉の問題が現実のものとなってきました。
 野田新首相は就任すると直ちに、「新たな原発の建設は困難」「老朽化など危険性の高いものから廃炉にする」と述べ、「可能な限り原発依存度を下げていく」考えを明確にしています。一方、安全性が確認された定期検査後の原発は再稼働を進める、との立場を鮮明にしています。一部にこうした考え方を「原発推進」とその反対側の極にある「反原発」や「脱原発」と、区別するために「減原発」という新語を当てはめる方もいるようです。
 しかし、反・脱・減とどのような表現を使おうとも、老朽化した原発やリスクの高い原発を廃炉にしていかなくてはならいことは、火を見るより明らかです。
 原子炉の寿命は数十年といわれますが、明確な基準は決まっていません。
 そもそも原発の寿命についての3・11以前の一般的な考え方は、原子力安全基盤機構のホームページに説明されていますので、以下引用します。
原子力発電所の寿命って、どれくらいなの?
独立行政法人原子力安全基盤機構のホームページより
 (原子力発電所は)定期的な検査などにより機能や性能を確認し、必要に応じて最新技術を導入した 設備や機器に取り替えています。このように、当初の機能や性能を維持しながら、原子力発電所が使用年数を重ねていくことを、「老朽化」と区別して「高経年化」と言い、そのための対策を「高経年化対策」と呼 んでいます。こうした高経年化対策により、理論上、原子力発電所自体は限りなく寿命を伸ばすことができます。しかし、維持管理のコストがかかりすぎれば、廃棄して新たな施設をつくるほうが得策です。そのとき、原子力発電所は寿命を迎えるこ とになるわけです。
 「寿命」とは、命が存続する長さのことです。その意味からすれば、原子力発電所の「寿命」とは、原子力発電所が安全に運転を続けることのできる期間といえます。原子力発電所の「寿命」に関して、日本では法律に定められていません。ですから、適切な保全活動を行うことによって、原子力発電所の健全性を確保できる限り、原子力発電所の「寿命」は続くことになります。 では、「寿命」がないのかといえば、そうではありません。保全活動に関するさまざ まな技術で対応しても、設計当初の機能 や性能を維持できなくなったときはもちろんのことですが、運転や修理にかかる費用が採算ベースを超えて膨らむというように、技術面や経済面など総合的 な観点から事業者(電力会社)が運転を停止したほうがよいと判断したときに、原子力発電所 は「寿命」を迎えます。ですから、原子力発電所ごとに「寿命」は異なります。
 この考え方が、現在も通用するのか、民主党政権はまずそこから結論を出す必要があります。特に「 技術面や経済面など総合的 な観点から事業者(電力会社)が運転を停止したほうがよいと判断したときに、原子力発電所 は「寿命」を迎えます」との書ぶりには、違和感を持つのは私一人ではないと思います。原子炉の寿命は、地域住民やその声をもって行政、政治が判断するべきものです。
 さて、実際の廃炉への道のりは、簡単ではありません。まず、原子炉から使用済みの核燃料を取り出すところから始まります。核燃料をすべて取り出し、安全な場所にその残りや最高レベルの廃棄物を安全な場所に保管します。その後、配管の放射性物質を除染し、放射線量が減るのを充分に待ってから原子炉本体を解体します。そして、最後は施設を更地にし、コンクリートなどで用地を遮蔽します。原子力施設は建物が巨大で一般の建設物より堅牢に作られていますので解体には大変な労力が必要です。しかも莫大な放射性物質が出るため、通常20年以上かかるといわれています。
 茨城県の東海村は、日本で初めて原子の灯がともった場所として有名です。1963年に原子力発電に成功した日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)の動力試験炉「JPDR」は、76年に運転を停止しました。廃炉が完了したのは96年で、その作業に21年を要しました。
参考写真 現在、東海村では、日本原子力発電東海発電所(東海第1発電所)でも廃炉作業が行われています。東海第1発電所は、動力試験炉JPDRの運転成功を受けて3年後の1966年に稼働した国内最初の商業用原子炉です。98年に営業運転を終え、停止後、使用済み核燃料が原子炉から取り出されました。使用済み核燃料はイギリスの再処理施設に送られ、減容処理が行われています。
 現場では現在、原子炉の熱を高温、高圧の蒸気に変換する「熱交換器」の撤去作業が行われています。原子炉建て屋などの解体は2014年度から着手される予定ですが、まだ正式に決まっていません。東海発電所は、出力16.6万キロワットの小型発電所にもかかわらず、すでに解体に13年も掛かっており、廃炉完了の目処も立っていません。
 廃炉の過程でもっとも深刻な問題は、放射性廃棄物の最終処分場所です。JPRDの廃炉で出た放射性廃棄物3770トンは、未だにすべて敷地内に一時保管されています。別の場所に設ける処分場に移して2019年に埋設処理を始めることになっていますが、その候補地も全く決まっていません。
 東海第1発電所では、約6万7900トンの放射性廃棄物のうち、放射線量が比較的高い約1万4700トンを、地下10メートルから100メートルの施設に埋設する計画です。これも候補地が決まらず、建屋や原子炉本体の解体工事前までに、場所が決まらない場合、廃炉工事の期間もさらに延長されます。
 廃炉費用も大きな数字となります。2001年時点の見込みでは545億円が廃炉費用として見込まれていましたが、現在では885億円と上方修正されています。その内訳は、解体費そのものが347億円、放射性廃棄物処理処分費が538億円となっています。
 東海電発の建設費は465億円であり、物価の変動分を考慮しても、廃炉費用が莫大になることがわかります。なお、この廃炉に関わる費用は、日本原電が積み立ててきた解体引当金でまかなわれることになっています。
 また、2008年から福井県敦賀市の「ふげん」の廃炉作業が進められています。プルトニウムの有効利用を目指し、日本が独自開発を進めた「新型転換炉」ですが、開発計画そのものが中止されました。2018年度ごろから原子炉本体を解体・撤去し、10年かけて更地に戻す計画です。ふげんの建設にかけた歳月は8年、費用は685億円。それに対して、廃炉処分には10年以上、750億円が見込まれています。
 廃炉と並んで現在の原子力政策の基本の一つであった「リプレース」も、大きな曲がり角にさしかかっています。リプレースとは、 老朽化した原発の廃炉を新しい原発の建設で “置き換え”ていく政策です。
 例えば、菅前首相の要請により運転を休止している中部電力浜岡原発は、五つの原子炉のうち1、2号機の営業運転を一昨年2009年1月に終え、廃炉の手続きに入りました。二つの原発は耐震補強に約3000億円かける必要があり、中部電力は、大型の140万キロワットクラスの6号機を建設し、リプレースするほうが効率的だという結論に至りました。
 しかし、菅前首相の停止要請、野田新首相の「原発の新設は行わない」発言で、様相は一変しました。静岡県の川勝平太知事も「自分たちの基準で安全を確認できない限り再開はありえない」と原発の稼働そのものに否定的な考えを述べるなど、単純な廃炉の場合、果たしてその費用を電力会社が減価償却費で賄えるのかも不透明です。
 すでに廃炉手続きに入っていた東海、ふげん、浜岡2基の計4基に加え、事故を起こした福島第一原発1〜4号機の廃炉も決まりました。福島第1原発の場合、メルトスルーした原子炉の廃炉に、いったいいくら掛かるのか、何年掛かるのか、どこに高濃度の放射性物質を保管するのか、まったく検討もされていません。
 政府は、一刻も早く廃炉も含めた、原子力発電のソフトランディングの手法を明らかにすべきです。