参考写真 2009年9月3日、その決定はあまりの唐突に八ッ場の住民を襲いました。民主党の前原国交大臣(当時)が、マニフェストで建設中止を掲げた群馬県長野原町の八ッ場ダムの9月11日から予定されていたダム本体工事の入札延期が決められました。
 住民へや地元自治体に何の説明もなく、それから2年3カ月。12月22日、前田国土交通相は「建設継続が妥当」とする国の検証結果を尊重し、本体工事を着手すると宣言しました。
 その日、午後4時45分過ぎに、国交省で記者会見した前田国交相は「事業継続を決定した」と結論から語り始めました。その後、着工の理由を「即効性のある治水施設が望まれる」と語り、利根川流域6都県知事がダム建設を求めている点や、国交省が行った検証手続きが正しいと強調しました。自公政権のそれと全く変わりのないその説明は、2年以上の時の経過が全く感じられないものでした。マスコミにマニフェストに反するのではと問われると。「誠に残念。ある意味、苦渋の決断をさせてもらった」と答えました。
 前田国交相は記者会見を終えると、その足で八ッ場ダムの地元・群馬県長野原町に向かいました。午後8時、長野原町山村開発センターは、住民らの歓びの拍手が湧き上がりました。前田大臣を迎えた、大沢群馬県知事は「中止表明から2年、住民は先が見えなかっただけに喜びは計り知れない。一日も早くダム本体を着工し、生活再建事業も完成させてほしい」と、本体工事着工の決断にエールを送りました。長野原町の高山欣也町長は「(民主党の前原政調会長から)“横やり”が入って難しい中、英断に感謝申し上げる」と語り、「これで希望が持てる。遠路来ていただけるとは思わなかった」と、前田大臣の決断と行動に敬意を表しました。
 この会合の模様を関係自治体の公明党議員は、次のように語っていました。

 政権交代直後の唐突な中止表明から2年3ヶ月、政権は住民を翻弄し続けました。地元との協議もなしに、一方的な通告に住民は、大臣からの話し合いの申し入れに繰り返し拒んできました。
 「故郷をダムに沈めたくない」と必死の反対運動をして、むしろ旗を立てていたのは、40年前の私が高校生の頃。この住民が、早くダムを完成させてほしいと戦った、2年3か月です。本当に不条理でした。
 22日午後7時、多くの住民代表と山村開発センターに集いました。みんな今までのような硬直した顔と違い、和やかな顔、顔。
 8時に前田国交大臣が「長い間、お待たせして、申し訳ない。今日は、おわびにきました」というも、そこにはいつもの怒号はなく、安堵と喜びの声がありました。せめる声もなく迎えた住民に、大臣は、涙を浮かべ声をつまらせた。
 下流都県のみなさまをはじめ八ッ場まで足を運んでくださった全国の皆様、ありがとうございます。本格的な生活基盤の安定と地域つくりが、今日から始まります。


 八ッ場ダムは、約60年前に建設計画が持ち上がりました。利根川流域の洪水防止と関東圏の水源としての利用が目的で、総工費4600億円の国内最大級のダム工事です。茨城県も水資源保のために計画に参加しています。
 2009年夏の総選挙で、民主党は「コンクリートから人へ」をマニフェストに掲げ、八ッ場ダムの建設中止を声高に叫びました。政権交代後、国交相に就任した民主党の前原国交相が、その政権公約を金科玉条として、地元との協議もなく強引に建設をストップしたのが、この迷走劇の発端に他なりません。
 この2年3カ月、民主党はダムに変わる代替案も示さず、歴代国交相は党内のマニフェスト至上主義に配慮し、結論を先送りしてきました。
 そして、東日本大震災や福島第一原発事故。必要な公共事業に手を抜くことの恐ろしさを、国民が再確認しました。
 こうした時間の経過を経ての政府・民主党の方針変更です。12月23日付けの読売新聞は社説で、次のように論評しました。
八ッ場ダム 混乱と無策の果ての建設続行
読売新聞社説の一部(2011/12/23)
 特に前原氏の責任は重い。
 建設中止の副作用が大きいことは明白だったのに、建設が妥当と結論付けた検証結果を最後まで受け入れようとしなかった。
 前原氏が「無理やり予算に入れるなら、党としては認めない。閣議決定させない」とまで述べたのは、行き過ぎだ。政権党の政策責任者の発言とは思えない。これ以上の混乱は避けるべきだ。
 地元は苦渋の決断でダム建設を受け入れ、水没予定地から大勢の住民が転居した。ダム建設が宙に浮く間、温泉旅館の休業が相次ぐなど新たな打撃も受けた。
 このうえ建設中止となれば、ダム観光で再生を図る計画も頓挫しかねないところだった。
 道路の付け替えなど関連事業に総事業費の8割がすでに投じられている。中止の場合、半分以上を支出した流域の1都5県に対し、政府が費用を返還しなければならなくなる問題もあった。
 マニフェストを作成する段階でこうした事情を十分考慮したとは言えまい。欠陥や誤算が判明すれば、柔軟に見直す必要がある。八ッ場ダムから学ぶべき教訓だ。

 この八ッ場ダムの混乱から、私たちが学んだこと。それは、民主党のデタラメなマニフェストからは何も生まれないということです。一刻も早く、民主党はその政権公約の全てを撤回し国民に謝罪するか、政権の座から退場する必要があります。
(写真は八ッ場ダム建設用地に完成した湖上2号橋を視察する井手よしひろ県議:2011/10/13撮影)