参考写真 野田首相が東京電力福島第1原発の「冷温停止状態」が達成されたとして、「事故収束」を宣言してから10日余り。現状と遠く懸け離れた政府の甘い認識に、国民の反発と怒りは高まる一方にありまする。
 原子炉内では今も、処理方法が見つからないまま汚染水がたまり続けています。最長40年と言われる廃炉作業の道筋も不透明です。11月末で終了するとしていた避難区域内の除染モデル事業もやっと始まったばかりです。
 何より県内外に避難する15万人の住民の帰還のめども立っていません。この重い現実を前に、「収束」はありえません。
 そもそも冷温停止とは、制御棒で核分裂反応を止め、水の循環で原子炉を冷やすことを指します。炉内の状態が確認できない現段階での「停止」はあり得ないはずです。多くの専門家も疑問視しているのはこの点です。
 なぜ、こんなにもことを急ぐ必要があるのだろうか。「表面的な『実績』を取り繕おうとした」と地元紙・河北新報は書きました。政治的パフォーマンスとみられても仕方ありません。
 この「収束」宣言に次いで、政府は避難区域を再編する方針も示し、地元自治体に伝えました。
(1)避難指示解除準備区域(年間放射線量20ミリシーベルト未満):住民の早期帰宅を目指す区域
(2)居住制限区域(同20ミリシーベルト以上50ミリシーベルト未満):住民に引き続き避難を求める区域
(3)帰還困難区域(同50ミリシーベルト以上):原則、長期にわたって住民の居住を制限する区域
 この3つの区域に分け、可能な地域から順次、住民帰還を目指すというものです。
 これも、「机上の空論」との批判が絶えません。政府方針通りに区域設定した場合、どの市町村も地域が分断され、住民同士のつながりはもちろん、自治体そのものまでも崩壊しかねないからです。
 ここは20ミリシーベルト以下、ここから向こうは20ミリシーベル以上という境界線が、引けるのでしょうか。最小限の自治体という単位を壊すべきではないと考えます。
 原発をめぐる、これら一連の政策や方針に欠けているものは、一言でいうなら「生活」への視点です。政府はもっと福島県民の心に寄り添い、廃炉に向けた取り組みやインフラ整備などと、雇用や健康など暮らしに分け入ったきめ細かい生活再建策とを一体的に展開する必要があります。
(写真は、福島市大波地区で除染作業を視察し、放射線量を計測する井手よしひろ県議)