憲法96条の単独修正は立憲主義の精神に反する
130429illust 安倍晋三首相(自民党総裁)は、憲法改正へ意欲的な姿勢を示しています。特に憲法改正の手続きを定めた96条に関して、衆参各院の「3分の2以上」の賛成を必要とする9発議要件について、「2分の1に変えるべきだ。国民の5割以上が憲法を変えたいと思っても、国会議員の3分の1超で阻止できるのはおかしい」と主張しています。そのうえで、「参院選の中心的な公約として訴えたい」と述べています。
 この96条の改正について、私は議論の方向性が全く間違っていると主張します。 
 そもそも日本国憲法とは何なのか、今一度確認してみたいと思います。かなり乱暴な整理かも知れませんが、憲法は一般の法律とは全く違うものです。それは、一般の法律が我々国民を縛るためにあるのに対して、憲法とは、我々国民を縛るのではなく、『国家(権力)』を縛るもであるということです。
 表現を変えれば、法律は「国民が守るべきルール」ですから、国民が法律を守らないと、裁判所で裁かれて罰を受けることになります。それにくらべて憲法は「国家(権力)が守るべきルール」ですから、国民はそのルールを破っても憲法で罰せられることはありません。
 このように憲法は、国家(権力)から国民の人権を守るという立憲主義に基づいていることから、日本国憲法は一般の法律改正よりも改正要件が厳格な「硬性憲法」となっています。
 憲法は、国会議員を含め、国の権力者を縛るものですから、権力者のかってな都合で簡単に変えられてはいけない。だから、一般の法律と違って難しい『衆参各院の「3分の2以上」の賛成』という難しい条件が付いているのです。改正手続が普通の法律と同じように簡単だと、国家(権力)にとって都合のいい憲法になってしまう。これでは、国民の人権を守れなくなってしまうという考え方です。
 したがって、憲法を改正しやすくするため96条を先に改正し、改正要件を緩和すべきだという主張については、非常に危険な考え方です。手続きだけの改正を先に進めるのではなく、改正の内容とともに議論しなければ、何のための改正か、その本質が分からなくなってしまいます。
アメリカ合衆国憲法の改正について
 日本憲法の修正問題を考える参考として、合衆国憲法の改正法についてみてみたいと思います。
 合衆国憲法第5条に記されている憲法改正の方法は二つあります。その一は、連邦議会の上・下両院が3分の2以上の多数をもって憲法改正条項を提案します。通常の法律と違って、この改正案は大統領の手元には送付されず、各州知事に送られます。州知事はこれを州議会に提出し、全米50州の4分の3の州(38州)がこれを批准した時点で、憲法改正は成立します。第二は、3分の2以上の州の州議会が要請すると、憲法制定会議を招集されます。この憲法制定会議が憲法改正案を提案し、修正案は各州に送られ4分の3の州が批准することで改正案が成立します。
 合衆国憲法は今まで27回改正されていますが、すべて第1の方法で行われています。
 ちなみに、合衆国憲法の改正(または修正)条項は、既存の憲法の終わりに次々に付け加えられていきます。つまり、元の条項は、たとえそれが改正条項によって無効にされても、そのまま憲法に残されます。これが、公明党のいう“加憲”の一つのモデルになっています。
 ここで注目しなくてはいけないのは、国会の3分の2以上の賛成という高い壁があっても、本当に必要な改正(修正)であれば、アメリカでは27回も改正されているという事実です。
 改正の条件が厳しいから改正できないと言うことではなく、真に改正する必要があるかないかで憲法改正の議論は行う必要があります。

公明党は、基本的人権・主権在民・恒久平和主義の憲法三原則を厳守
4月17日の国会の党首討論で、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は、安倍首相に対して、憲法改正に関連して「公明党は、必ずあなたがたの足手まといになる」と述べ自公連立を批判しました。議場からは「失礼だ!」とのヤジも上がりましが、石原代表は「本当のことを言っているんだ」と言い返しました。
 この国会でのやり取りを目の当たりにして、石原氏の暴言に対する怒りや不快感よりも、公明党の役割の重さを痛感しました。逆説的な言い方をすれば、「公明党が連立与党にいなければ憲法改正は容易に出来る」と言っているに等しいと思います。安倍政権の暴走を止められるのは、連立のパートナーである公明党だけであるということです。