
せっかくの誕生日ですので、皆様にも何か役立つ情報と思い、県議会図書館で昭和31年6月6日付の茨城新聞を探してきました。
一面には皮肉にも、東海村の原研玄関道路の建設に関する記事が掲載されています。「原研設置に伴う最優先事業として、6号国道二軒茶屋から研究所に至るいわゆる『原研玄関道路』の建設に1億6300万円が見積もられている」との記事です。
また、紙面の中程にある「7月8日投票」というのは、第4回参議院選挙のことです。創価学会が初めて組織内候補を無所属として擁立し、3人(大阪選挙区=白木義一郎、全国区=北条雋八・辻武彦)を当選させた選挙。後に「『まさか』が実現」と言われた参院選のことです。これが、公明政治連盟を経て後の公明党の源流となっています。

8面には、「文化費は戦前を突破、家計調査からの国民生活」との記事が目にとまりました。57年前の世相が見事に浮かび上がってきます。
私が生まれた昭和31年は、戦後20年が経過し日本が戦後の混乱から脱して、高度成長期へと移行した、日本経済の離陸期に当たると思います。
以下、転載させていただきます。
文化費は戦前を突破
家計調査からの国民生活
茨城新聞(1956/6/6)
最近の暮らし向きをみると、食べ物は豊富に出回り、町を歩く人たちの服装も見違えるほど整ってきましたが、さらに昨年あたりから貯蓄性が高まり、戦前の生活水準には及ばないまでも、ある余裕の生活を取り戻しています。
私たちの生活を大きくおびやかしていたインフレ傾向は、デフレ政策の実施によってようやく29年の終わりごろ消費者物価の値上がりが止み、30年には総合指数で前年の119.1から117.8に落ちました。ところが一人当たりの国民所得は戦前の210円に対して28年にはこの水準を上回り、30年には物価の値上がりを除いて248円に達しました。また勤労者の実質賃金は27年には月平均1万8624円となり、農家の1戸あたり月収入も2万1639円となりました。
この収入によって私たちはどんな暮らしをしているのでしょうか。家計費の内容についてみてみると、終戦直後に都市生活者の総家計収出の70%近くを占めていた食料費の割合が、30年には49%、都市勤労者の場合は45%に改善されています。ただ戦前の35%にはるかに及ばないのは、食料費が戦前に比べて割高であることと、牛乳、肉、卵など動物性たんぱく質を多く取り入れた食生活に改善された結果で、したがって戦前の割合に戻ることはないとみられています。また、被服費、光熱費は戦前並みになっていますが、住居費は未だ低い割合におかれています。ところが医療費、旅行費、教育費、教養娯楽費などの文化的な生活に必要な諸雑費は、30年の都市生活者が28%と戦前の31%に近づいてきており、都市勤労者は戦前を突破して32%になりました。
家計調査でみる限り、このように私たちの生活水準は戦前に近いところまで回復しています。都市勤労者の家計収支は27年に黒字になり、30年には月平均で前年の727円から1454円と貯蓄の伸びが著しくなっています。しかし実際として戦前のように余裕ある生活が味わえないのは、たくわえた財産を戦争とインフレによって失ったからでしょう。