8月8日から10日にかけて、2泊3日の予定で東北の被災地を訪問しました。
 今回は、国道45号を仙台から宮古まで北上。震災後11回目の被災地入りですが、全体的な復興状況をこの目で確かめてきました。
 8日が塩釜、石巻、女川、多賀城泊。9日が大川小学校(石巻)、気仙沼、大船渡、釜石、宮古泊。10日は田老(宮古)、久慈。総走行距離は1360キロになりました。
 移動距離が長かったために、各地域の詳細な調査は出来ませんでしたが、石巻市立大川小学校、JR気仙沼線BRT、田老地区の防災観光、久慈市内の“あまちゃん”効果などを重点的に視察しました。
 被災3県には、今もなお30万人近くの被災者が仮設住宅などで避難生活を送っており、復興の状況は地域差が拡大していると感じました。復興商店街や屋台村などでなるべく食事を取りましたが、活性化している場外層でない場所の差も大きくなっていました。
 民主党時代に比べて、被災地は大きく動いていると実感しましたが、地域の実情と国の震災対策とのギアをしっかりとかみ合わせていかないと、地元の要望と国や行政の政策とのギャップは大きくなってしまいます。行政、特に国会議員は被災地、被災者にしっかり寄り添い、支援を強化する必要があります。
 諸課題を本格的に議論する秋の臨時国会を前に、すべての国会議員は被災地に入り、現地に何が必要かを認識すべきです。公明党も現場第一主義で復興加速に臨むべきだと思いを新たにしました。
しおがま・みなと復興市場
 8月8日、しおがま・みなと復興市場ではさかなのから揚げ定食の昼食をいただく。しおがま・みなと復興市場にある19店舗の中で唯一の飲食店「海鮮食堂・やま登」さん。午前11時〜午後3時ごろまでの営業。海の町・塩釜らしく、新鮮な海産物をメーンにした定食屋さんです。お店の一角には、“やま登”の大きな看板が立てかけれていました。もう一度、この大看板を掲げたお店が復興することを祈ります。

解体された石巻市立病院
 8月8日、解体された石巻市立病院を日和山公園から望む。震災の津波で壊滅した石巻市立病院の解体工事が、今年1月から始まっています。
 旧北上川のすぐそばに1998年の開院した市立病院は、2011年3月11日の震災で、1階天井まで津波に襲われ、電気設備、水道、電話などライフラインがすべて被災しました。当時、病院には入院患者153人と、医師、看護師ら職員約220人がいました。患者は震災4日目までにヘリコプターなどで他の病院に搬送されましたが、食糧や水もほとんどなく、まともな医療行為ができない状態でした。患者5人が搬送前に亡くなったとのことです。病院1階で作業にあたっていた関連企業の従業員2人が津波にのまれて犠牲になりました。
 震災時29人いた医師は現在、医院長と2012年5月末に仮設住宅団地内に開設した開成仮診療所の所長の2人だけになってしまいました。約150人いた看護師も半分近くに減りました。
 解体された跡地は、河川堤防と大規模公園が建設される予定です。新市立病院は石巻駅前に15年度中の完成を目指しています。

女川町の状況
 女川地域医療センターからの女川町の展望。女川町は20mもの津波によって、町内の住宅の7割が流失し、人口のおよそ1割の方が尊い生命を失うという未曽有の災害に見舞われました。市街地では、ほとんど建物の解体が終わり、嵩上げ工事が始まっています。
 被災した施設を災害遺構とて保存する計画も進んでおり、江島共済会館、女川サプリメント、女川交番は保存される予定です。この津波により倒壊したビルは、防災研究、建築学の研究に非常に重要だと言われています。