2014年3月17日:潮来市日の出地区液状化対策<山口代表>011 3月24日付けの公明新聞の投稿コラム「直言」に、潮来市議会議員柚木巌さんの投稿が掲載されました。
(写真左:柚木巌潮来市議、中央:松田千秋市長、右:山口津那津男公明党代表)
 東日本大震災で、潮来市は思わぬ液状化という大規模被害を受けました。
 潮来市は茨城県南東部に位置し、霞ヶ浦や北利根川など周辺を水辺に囲まれた面積約71.4平方キロメートル、人口約3万人のまちです。東関道潮来インターにほど近い日の出地区は、霞ヶ浦の一部であった沼地を干拓して造られた造成地です。軟弱な地盤のため液状化の被害を受けやすい場所でした。
 この日の出地区は、鹿島臨海工業地帯の開発に伴うニュータウンとして、昭和48年から区画整理事業が行われ、2011年3月1日現在、茨城県潮来市の約人口の約21パーセントにあたる6,356人が居住していました。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、潮来市では震度6弱の揺れが生じ、日の出地区では広範囲にわたって地盤の液状化が発生しました。液状化によって、日の出地区の住宅約2100戸が傾くなどの被害を受けました。電気、ガス、上下水道等のライフラインも途絶したため、避難所が開設された当初、日の出地区の日の出小学校には1022人もの住民が押し寄せました。
 また、広域的な液状化被害によってライフラインの仮復旧に至るまでには長時間を要しました。電気は、電柱の傾き等の被害によって、1か月以上を要し、ガスは、ガス会社が各住宅を個別訪問してガスボンベを設置するなどの対応を行いました。上下水道は、日の出地区の公共水道21.6キロが被害を受けました。また、日の出地区内にあるマンホール約900個のうち約800個が被災したため、仮復旧まで1か月半もの時間を要しました。
 東北三県から遠く離れ、しかも内陸地帯で発生したこの液状化被害は、マスコミに大きく報道されることはなく、「忘れられた被災地・いばらき」を象徴する状況でした。
2011年3月19日:日の出地区の現地調査 こうした状況で、震災からわずか1週間余りの3月19日。公明党の山口那津男代表が鹿島。神栖の津波被害を現地調査することになりました。代表一行の極めてタイトな日程に、柚木市議のどうしても日の出地区の実態を観て欲しいと訴えがかない、山口代表らは日の出地区の実態を目の当たりにすることが出来ました。
 大変な被害を受けた地元の住民の声を届けたいと全力で頑張った地方議員と、現場の状況を具に把握して復旧・復興に繋げたいと死力を尽くしていた国会議員の歯車ががっちりと噛み合った瞬間でした。
 震災から3年を経て、日の出地区はやっと本格的な地盤改良が始まっています。その名のごとく、光り輝く地域の再生が進むことを祈念します。

直言(公明新聞2014/3/24)
「忘れられた被災地」再訪に感動
 私は3期目の市会議員。3月17日、山口代表が東日本大震災の復旧状況を調査するために、茨城県鹿嶋市と潮来市を再訪しました。市長と共に同行した私は大感動。翌日の議会で、市建設部長が代表の現地調査に触れたとき、傍聴していた人が驚いていたのが印象的でした。
 震災当時、潮来市の日の出地区では液状化被害が発生。家が沈み、道路がせり上がり、電柱が一方向に傾くなど惨たんたる状況でしたが、東北地方の津波被害に注目が集まる一方で、ここは“忘れられた被災地”でした。
 そんな中、震災から間もない2011年3月19日、山口代表が現地に。ここを地盤とする他党の国会議員が、まだ一度も訪れていない中で率先して被害状況を調査。被災者に声を掛けながら、被害をつぶさに確認してくれました。
 その後も、公明党が国会で茨城を含む被災地の復旧・復興を継続して訴えていることは地元の大きな力になっています。
 震災から3年。どこまでも被災者に寄り添う公明議員として、完全復興を果たすその日まで、現場の最前線で闘っていく決意です。