武器輸出三原則の限界と新たな「防衛装備移転三原則」
公明党日立支部党員大会 3月26日、公明党日立支部の党員大会が日立市シビックセンター・マーブルホール会議室で盛大に開催されました。席上、石井啓一党政調会長(党茨城県本部代表)は、自民、公明の与党安全保障プロジェクトチームが25日に取りまとめた、「武器輸出三原則等」に代わる新たな「防衛装備移転三原則」について、分かりやすく説明しました。
 そもそも「武器輸出三原則」とは、1967年に当時の佐藤栄作首相が国会答弁で、(1)共産圏諸国(2)国連決議で禁止された国(3)国際紛争の当事国やその恐れのある国―への武器の輸出は認めないと表明しましたことが始まりです。さらに、1976年に三木武夫首相が国会答弁で、三原則の対象外の地域についても憲法の精神にのっとり武器輸出を慎むとの方針を示し、事実上、全ての武器と関連技術の輸出を禁止してきました。この佐藤首相の三原則と三木首相の答弁を合わせて、武器輸出三原則等と言われています。
 政府は三原則を堅持しつつも1983年以降、その必要性から、米国との防衛分野の技術交流や対人地雷除去活動への支援、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)参加など国際平和協力に伴う装備品(小銃、ヘルメット、防弾チョッキなど)の海外持ち出しなど、合計で21回もの例外を認めてきました。
 これでは、例外措置には特段のルールがなかったため、例外がどこまで広がるか分からないとの懸念がありました。
 さらに、国連機関などへ移転する場合や災害復旧機材を緊急に供与する場合など、平和貢献や国際協力のニーズ(要望)が今後、増すことが予想されています。
新三原則の基本方針は、移転可能な場合を明確に限定、従来より審査手続きが厳格化
 そこで、これまでの例外措置の実例を整理し、武器輸出を認める場合の基準をより明確化、限定化するために新たな原則を設けることにしました。
 これが、新たな「防衛装備移転三原則」です。新三原則の柱は、大きく(1)国際的な平和や安全の維持を妨げることが明らかな場合は移転しない(2)移転を認める場合を限定し厳格審査する(3)目的外使用や第三国への移転は適正管理が確保される場合に限定する―の3点です。
 つまり、(1)で“こうした地域には移転しない”という門前払いの地域を明確にし、(2)で日本の安全保障に役立つなど積極的な意味がない場合は移転を認めず、厳格に個別審査すると定めました。(3)は、移転した装備品が容易に目的外に使用されたり、第三国に移転されることがないよう“歯止め”をかけます。
 加えて、公明党の主張で、情報公開が徹底されました。海外移転の許可状況については、経済産業省が年次報告書を作成して国家安全保障会議(NSC)に報告し、国民に公表します。NSCで審議する重要な案件についても、政府が従来以上に透明性に配意しつつ、情報公開すると定めました。
 原則の名称も「武器」から「防衛装備」に変わります。これは、原則の対象となる品目に国際協力活動で使用する油圧ショベルなどの重機や地雷探知機、防護服などが多く含まれるためです。より実態に即した名前に変更したものです。また、「輸出」には無償供与や技術提供も含まれるため、「移転」と改めました。
 この新三原則は、武器輸出「解禁」との意見もありますが、その指摘には当たりません。
 現在、防衛装備品の移転には1件ごとに経産省の許可が必要で、日本は最も厳しく管理している国とされています。しかも、そのほとんどは自衛隊の装備品を修理するために米国の企業に送る場合です。
 新三原則で日本が単なる経済的利益のために輸出を進めることはありません。新三原則の下でも、この厳格な許可制度の仕組みは変わりません。さらに、新三原則は、防衛装備品を移転する基準をこれまで以上に明確化、厳格化したものです。
 従来の武器輸出三原則等がこれまで果たしてきた役割を引き継ぎ、平和国家としての基本理念を変えるものではありません。