140618tei_1 6月13日、私の母校・創価大学で、中国・程永華駐日大使による講演会が「継承伝統 共架金橋(伝統を継承し、共に金の橋を架けよう)」のテーマで開催されました。これは、1974年の北京大学等の訪問や周恩来総理との会見など、創立者池田大作先生の初訪中40周年を記念して行われたもです。(このブログ記事は、創価大学のホームページを引用させていただきました)
 初めに、馬場善久学長が「40年前の1974年5月30日から6月15日まで、池田先生は中国を初訪問。また同年12月5日に周恩来総理と会見をされました。そして、1975年4月には池田先生自らが保証人となり、国交正常化後、初の国費留学生6名を創価大学で受け入れました。本日お迎えした程永華大使、許金平中日友好協会副会長はその時の留学生です。そして、池田先生のご提案で、この6名の留学生とともに、周総理を記念する周桜を植樹いたしました。池田先生と中国全青連の代表の方々との記念撮影に立ち会う機会をいただいたことがあります。そのとき、池田先生は、周恩来総理との会見の模様、日中の万代の友好を誓ったこと、そして、青年の交流の重要性を、それはそれは真剣に話されていました。それは、まるで周恩来総理から託された日中の友好の松明を次の世代に命がけで託されているようでした。先生は40年間、このように出会った一人ひとりの心に、日中友好の種をまかれ、全力で日中友好の金の橋を築いてこられました」と程大使らを紹介しました。
 ちなみに、私も1975年4月、程大使らと共に創価大学の門をくぐり、青春の一時期を創立者のもと、共に過ごしました。

 程大使は、日中国交正常化(1972年)後、初めての中国からの国費留学生の一人として、創価大学で学び、創立者と刻んだ思い出を語り、「本年、創立者池田先生の初訪中40周年を迎えました。40年前の今日、創立者は上海を訪問されていました。その12月には周恩来総理と会見されました。今日の交流を通じて池田先生が長年、日中友好のために尽力されてきた意義をより深く理解し、自分たちが日中の人民友好のために何ができるのか考えていく機会なればと存じます」と講演を始めました。
140618tei_2 創立者池田先生の日中友好への軌跡を巡りつつ、「池田先生の日中友好における重要な貢献を振り返りたい」として、(1)池田先生は、長い目で日中国交正常化を推進してこられました。(2)池田先生は、人と人の友情を結ばれました。(3)池田先生は日中代々の友好の人材を育ててこられました。(4)理解と信頼に基づき真の友人関係を発展させてこられました、と具体例を挙げて説明。そして、「皆さん、今年は、池田先生初訪中から40周年にあたります。日中関係も国交正常化から42年の春秋を重ねました。両国の努力により、日中関係は著しい成果をあげてきたことを認識すべきです。1972年の日中共同声明、1978年の平和友好条約、1998年の中日共同宣言及び、2008年戦略的互恵関係の包括的推進関する日中共同声明との政治文章を発表し、政治的基礎と方向を確立しました。日中貿易は、国交正常化時の10億ドルから3000億ドルにのび、重要な経済貿易パートナーになっています。人的往来は1万人から500万人に増加し、毎日100便近い航空便が飛び、1万人近い人が日々往来しています。中国にいる日本人は14万、日本にいる中国人は68万人で、両国の民間、地方、人、文化の交流は大きく発展し、様々な形式と内容の交流と往来が頻繁にくりひろげられています。正式に友好関係を結ぶ都市は250組以上、これに友好交流協力関係にある都市を加えると350組以上になります。こうした重層的で分野を越えた全方位にわたる密接な関係は、日中関係発展の歴史でかつてありませんでした」。
 「日本と中国は、お互いに引っ越すことができない近隣です。和すれば共に利し、戦えば共に傷つくことを歴史と事実は繰り返し証明しており、両国関係の発展の成果は、両国人民に実際の利益をもたらし、地域と世界の安定繁栄をも大きく促進しています」。
 「創価大学は池田先生によって1971年に設立されました。開学当初、池田先生は、『人間教育の最高学府たれ』、『新しき大文化建設の揺籃たれ』、『人類の平和を守るフォートレスたれ』との3指針を学生に贈りました。それには、人間、包容、平和などの理念が内包され、学問を教え、人間を育てる方向を指摘するだけでなく、一人一人が問題を思考し、処理する方法を提供しています。私は、この池田先生の精神に啓発され、日中関係の処理においても、両国間の長期安定への道をさぐるためにも、関連の精神的理念が必要であると考えています」として、第一に人を中心にすること。第二はお互いに尊重し信頼することです。第三は平和を守ることと言及しました。
 そして、「皆さん、池田先生は、小説『新人間革命』にて、『民衆交流の海原が開かれてこそ、あらゆる交流の船がゆきかうことができる。次は、文化教育の交流だ。人間交流だ。そして永遠にくずれぬ日中友好の金の橋を築くのだ』と書いておられました。青年は国の未来と希望であり、日中友好を実現するには、皆さんがこれに参加し、皆さんが守り、皆さんが力を捧げることが必要です。ご在席の若い皆さんが池田先生、創価大学の対中友好の優れた伝統を引き続き宣揚し、中国の青年や両国各界の友好的な人々と手を携えて、金の橋を架けるために努力奮闘されるよう、私は切に希望いたします」と述べました。
参考:「共に金の橋を架けよう」中国・程駐日大使が講演しました

 程大使の大学時代の模様を、創価大学の卒業文集から引用してみたいと思います。程大使ら日本語別科で学んだ中国からの留学生の修了式の模様です。
 ついに別れの時は来た。昭和52年2月15日、その日は雪かチラチラ舞う寒い日であった。S201教室で、第一回日本語別科修了式が盛大に行なわれた。ブラスバンドが学生歌を演奏、学友の歌声が彼らを温かく包む。
 S201前に並ぶ留学生。めがねをずらしてはよく人を笑わせていた、やさしい目の許金平君がいる。毎日中研の部屋に釆て中国語を教えてくれた程永華君。森ケ崎海岸をいつも口ずさみバスケット部で活躍した滕安軍君。いつも満面に微笑をたたえていた李冬萍さん。手芸好きで家庭的な李侃さん。一年で帰国したが、流暢な日本語で話す劉子敬君の心も確かにあった。
 一人ひとりに花束が贈られ、集った一千人の学友の学生歌に和する留学生。知らず知らずのうちに涙がほほを伝う。「頑張れよ」「ありがとう」「ツァイチェン」……いつの日か世界平和の舞台で再会することを誓って、友誼の友は大学を後にした。(昭和54年3月発行の記念文集より)