150322blog_top
この度、平成23年1月から27年1月までの4年間の茨城県議会公明党の活動記録を『復興から創生へ』とのタイトルで記録誌にまとめました。このブログでも、その内容を順次紹介していきます。
第2回目は、高崎進県議のレポートです。

震災復興への活動
地方議員と国会議員のネットワーク生かし
被災地の最前線で活躍

 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の東日本大震災が発生しました。茨城県内では、震度6強、6弱の揺れが観測されました。今まで一度も経験したことがなかった強烈な揺れ、何度も繰り返される余震。それに続いて発生した大津波、さらに追い打ちをかけるように、東京電力福島第1原子力発電所の事故という未曽有の危機に、茨城県民は遭遇しました。死者24名、行方不明1名。全壊2629棟、半壊2万4365棟、一部損壊18万6728棟、公共建物の被害は1698棟、(2015年2月12日現在)にも上りました。
 また、ライフラインは各地で寸断され、停電82万3404世帯、水道は25市町村で全世帯断。40市町村で594ヶ所の避難所が設置され、最大7万7285人が眠れぬ夜を過ごしました。加えて、福島第1原発の事故を受け、福島県からの避難者が多数、茨城県に移り住む状況にありました。
 茨城県議会公明党議員会では、震災発生後45分で県議会内に対策本部を設置し、県の災害対策本部と連携し、震災対応に全力でありました。また、各市町村の公明党議員とも連携をとりながら、各被災地の現地調査と被災者に寄り添いながら奔走しました。
 被災地では、住宅地における塀、屋根瓦の崩壊が数多く見られました。特に、潮来市の日の出地区の液状化による被害は深刻でした。また、北茨城や那珂湊などの海岸では、津波の影響による漁港岸壁の崩壊など被害は甚大でありました。農林水産業や観光産業においては、福島第1原発の事故による風評被害に苦しみ、廃業や経営の危機に見舞われました。
県内全市町村を現地調査、東北三県は10次にわたり調査
 茨城県議会公明党は、震災発生からの4年間で、県内44市町村全ての震災被災状況を現地調査。36市町村長と直接、復興策について意見交換を行ってきました。現地調査の延べ日数は300日を超えました。
 さらに、福島・宮城・岩手の東北3県については、10次にわたる調査を行い、合計で35市町村を訪れました。
 日本政策投資銀行の推計によれば、茨城県の被害額は2兆5000億円にのぼると言われました。茨城県議会公明党議員会は、過去に大震災に見舞われた兵庫県、新潟県を相次いで訪れ、震災復興策について調査しました。兵庫、新潟の両県では、震災復興基金の創設により、被災者生活再建支援制度では対象外であった被災者の救済と自立支援がさらに前進しました。また、震災復興基金により、被災地域の総合的な復興対策を長期的、安定的かつ機動的に進めることにより、災害により疲弊した被災地域を魅力ある地域に再生させることができることを学びました。

積極的に政策要望、震災復興基金を提案
 茨城県議会公明党は、被災者の切なる要望や被災地の被害状況、被災県の調査を元に、2011年6月15日、橋本知事に対し、「東日本大震災に関する要望書」を提出。被災者の早期の生活再建のため、「茨城県震災復興基金」を速やかに立ち上げ、茨城県独自の復興支援策や生活支援策を講じることなど強く要望しました。特に、民有地間の擁壁や土留めなどの改修費用、液状化による甚大な住家被害に対して、県独自の上乗せ支援などを求めました。また、避難者に対する生活支援、中小企業支援については、国の被災者生活再建支援金や義援金の一刻も早い支払いや再建する際の二重ローンの解消・軽減など、救済措置を国に講ずるよう求めました。
 6月16日に開催された予算特別委員会質疑の中で、県議会公明党からの震災復興基金の創設を柱とした要望を元にした質問に対し、橋本知事は、東日本大震災の復興基金創設に意欲を示すとともに、地方6団体などが復興基金を被災県ごとに早期に創設するよう国に求めている経緯を紹介し、財政的支援について強く要望していくと答弁。また、橋本知事から、「現行の生活再建支援法の大きな課題」とし、救済の対象にならない被災者には、たいへん大きな負担がある、と理解を示し、阪神淡路大震災や新潟県中越地震では、「国の交付税に裏打ちされた復興基金が生活の再建に大いに役立った」と答弁がありました。こうした、県議会公明党の具体的な要望や議会における質問がきっかけとなり、東日本大震災復興基金が創設され、被災者の生活再建など震災復興の後押しとなりました。

中小企業の震災復興に力・グループ補助金など拡充
 今回の東日本大震災では、公明党のネットワークが最大限に発揮されました。当時の民主党政権は地方議員のネットワークが脆弱であり、東日本大震災の震災復興が、東北3県だけでに偏る傾向がありました。その結果、茨城県は忘れられた被災地と言われていました。2011年9月27日の衆院予算委員会で、公明党の石井啓一衆院議員(党茨城県本部代表・党政調会長)は、政策投資銀行の推計で茨城県の被害額が2兆5000億円に上ることを訴え、福島第1原発事故の風評被害に苦しんでいる現状を、野田首相に直接訴えました。そして、茨城県への財政支援も東北3県並みにすべきと求めました。この質問がきっかけとなり、中小企業グループ補助金制度、被災地への進出企業の税制上の特典など、茨城県の復旧・復興に対する国の財政支援が厚みを増しました。

「風化」「風評被害」という二つ「風」との戦い、人間の復興目指す
 東日本大震災発生から4年が経過し、住宅やインフラ、公共施設の復旧も粛々と進み、県民生活は落ち着きを取り戻してきましたが、農林水産物、観光などは、いまだに風評被害の壁を乗り越えるまでには至っていません。また、県内でみなし仮設住宅や親戚の家などで暮らす被害者は4264人(災害公営住宅への転居は除外)に上っています。このうち福島からの避難者は3461人います。
 さらに、福島第一原発の廃炉への道は平坦ではありません。汚染水の流出を止めることもできていないのです。東海第2原発の再稼働問題も決着が付いていません。
 震災から4年が経過し、復興の戦いは「風化」「風評被害」という二つ「風」との戦いという新たな局面を迎えています。尊い犠牲を絶対に無駄にすることは出来ません。記憶の風化を防ぐため、公明党は震災の記録を後世に残すアーカイブ(記録書庫)の整備を訴えてきました(平成27年度予算に新規事業として認められました)。地域では、巡回写真展「『人間の復興』へ」を開催してきました。公明新聞の記者が被災地で撮りためた写真をパネルにし、県内で展示するものです。原発事故によって、我が県の農業従事者、水産業者は、未だに深刻な風評被害にさらされています。風評被害を払拭するためには、積極的な広報戦略の展開が必要です。
 こうした現状を再確認するとともに、一人ひとりの人間に焦点を当てた「人間の復興」を目指してまいりたいと決意を新たにしています。
(レポート作成:高崎進県議)