中央・村上選手、右側・高土選手 10月1日、国民が心身ともに健康で文化的な生活を営む社会をめざし、スポーツ庁が発足しました。スポーツ庁は文部科学省の外局として創設されました。文科省や内閣府、国土交通省など7府省から人員を集め、5課121人体制でスタートしました。2020年東京五輪・パラリンピックを見据え、選手の強化や障がい者スポーツ、地域スポーツの振興など、複数の府省に分かれる関連施策の“司令塔”役を担います。初代長官は、1988年ソウル五輪100メートル背泳ぎ金メダリストで、日本水泳連盟会長も務めた鈴木大地氏が就任しました。
 鈴木初代長官は、スポーツ庁の目的をトップアスリートの支援に止まらず、障がい者スポーツの振興も重要と強調しています。
 2020年には、東京五輪・パラリンピックが開催されます。
 パラリンピックを契機に、障がい者への理解を進め、障がい者が身近な地域においてスポーツに親しむことができるよう、障がい者スポーツの普及・促進が進められています。
 国のスポーツ予算は、10年間で2倍近くになりました。来年度、障がい者スポーツの普及・振興では、パラリンピック教育の充実が図られるほか、誰もが参加できる地域スポーツクラブの設立や障がい者アスリートの発掘・育成などが行われます。
障がい者への思いやりや努力の尊さを学ぶ「パラリンピック教育」の充実を
 公明党は、スポーツ庁の設置検討を盛り込んだ「スポーツ基本法」の成立をリードし、スポーツに参加しやすい環境の整備を進めてきました。また、国会でパラリンピック教育を小中学校などの学習指導要領に盛り込むことを提案。新たな学習指導要領は20年度以降に小学校から順次実施されます。
 すでに、東京都では「夢・未来」プロジェクトと命名されたパラリンピックの教育のプログラムがスタートしています。
 このプロジェクトの狙いは、障がい者スポーツを通じ、思いやりやフェアプレー、努力の尊さなどを学ぶことです。具体的には、パラリンピックに関する知識、選手の体験、スポーツの価値などを学びます。
 「私が好きな言葉は、『If you can dream it, you can do it』(夢は実現できる)です」「皆さんに伝えたいのは、夢(目標)を持つ大切さです」――。車いすテニスの齋田悟司選手(株式会社シグマクシス)の言葉に、子どもたちは真剣に耳を傾けています。東京都の葛飾区立新小岩中学校で開かれた「夢・未来」プロジェクトの一コマです。
 「夢・未来」プロジェクトは、オリンピックやパラリンピックなどに出場した一流アスリートとの交流を通じて、子どもたちにスポーツの素晴らしさ、夢や希望を持つ大切さを伝えることをめざしています。東京都は今年度、都内の幼稚園や小学校、高校など全122校にアスリートらを派遣しています。
 先日、新小岩中の生徒らが体育館で齋田選手を出迎え、講演と車いすテニスの体験が行われました。齋田選手は、小学生の時に病気で左足を失った。「毎日をどう過ごせばいいのか」とふさぎ込みそうな時、スポーツをきっかけに自信を取り戻したという体験を語りました。車いすテニスを始めたころはなかなか試合で勝てず、その度に、自分の課題を見つけ、次の大会でその課題を克服しようと練習を重ねました。
 当時の心境を交えながら実体験を語る齋田選手の姿に生徒らも真剣な表情です。
 齋田選手は5大会連続でパラリンピックに出場。2004年のアテネ大会の車いすダブルスで金メダル、08年の北京大会でも銅メダルを獲得するなど、世界でも有数の車いすテニスプレーヤーです。
 講演後、齋田選手が見せる剛速球のサーブに会場全体が沸きました。1年生を対象に、齋田選手と車いすテニスを体験できるコーナーでは、多くの生徒が参加を希望。生徒は、競技用の車いすの操作に苦労しながら、齋田選手が打つボールを打ち返していました。
 講演を聞いた生徒からは「齋田さんから学んだ『目標を持つことの大切さ』『小さな努力を積み重ねること』を忘れず、自分の夢に向かって進んでいきたい」との感想が聞かれました。
 齋田選手は「車いすテニスを理解してもらい、一緒にプレーできたことは、有意義な時間だった。車いすテニス以外にも、多くの障がい者スポーツに興味、関心を持てるきっかけにしてほしい」と語りました。

(写真は、日立ランニングフェスティバル2015で、義足のアスリート村上清加選手と高土文子選手にお会い際の写真です。村上選手は、100メートルと幅跳びのリオパラリンピック代表候補選手。高土選手は、那珂市の出身で砲丸投、円盤投で膝下切断のクラスで日本記録保持者です。お二人から障がい者スポーツの課題や一般のアスリートの交流などについて、ご意見を伺いました。2015/11/14撮影、中央・村上選手、右側・高土選手)