
2月29日、井手よしひろ県議は、目白大学の林俊郎林教授とともに、龍ケ崎清掃センター「くりーんプラザ・龍」を訪れ、龍ケ崎地方塵芥処理組合処理組合の樫原洋二事務局次長、小林茂総務課長より、同センターの設立に至る経緯や、旧城取清掃工場のダイオキシン問題などについて聴き取調査を行いました。
林教授は、ダイオキシン問題について、科学情報学・生化学の立場からその実態に一石を投じた人物です。特に2003年、東京大学生産技術研究所・渡辺正教授との共著Γダイオキシン 神話の終焉(おわり)」(日本評論社)は、それまでのダイオキシン報道や行政の対応に対して大きな警鐘を鳴らした名著です。
当時、ダイオキシンは世界最悪の化学物質といわれ、べトナムで強烈な奇形性を示した枯葉剤とともに、青酸カリの1000倍といわれる毒性をもつと説明されました。焼却炉から吐き出される排煙とともに、周辺住民に深刻な健康被害を与えると報道されました。
旧城鳥清掃工場のダイオキシン健康被害疑惑
茨城県においては、新利根町にあった龍ヶ崎地方塵芥処理組合の「城取清掃工場」週辺の住民の健康被害が大きくマスコミに取り上げられました。城取清掃工場の週辺では白血病やがんによる死亡例が多く、この要因が、ダイオキシンを含む廃煙ではないかといわれました。
当時、摂南大学の宮田秀明教授が周辺住民の血症検査を行ったところ、最大463pg(TEQ/g脂肪)の血中ダイオキシン量を検出したというものでした。これは、宮田教授が平成8年3月に城鳥清掃工場の2km以内の風下に居住する住民60名から血液を採取。その内、分析が済んだ18人分の分析結果を平成10年6月4日に開催された「日本環境化学会第7回環境科学討論会」で公表したものです。
それによると、最高値を示したのは女性で、463pgとの数値は、平成10年1月に埼玉県所沢市の調査での最高値(29pg)の16倍に及ぶ高い濃度でした。尚、一般的には日本人の血中ダイオキシンの濃度は、20pg程度であると言われています。男性13人の平均は81pg、女性5人の149pgに達していました。
この結果は、大きくマスコミに取り上げられ、住民から健康被害に対する損害賠償訴訟も提起されました。
井手県議ら公明党は、こうしたダイオキシンよる健康被害の可能性を重要視し、県が周辺住民の健康調査を責任をもって行うよう提案。また、城取清掃工場を早期に建て直すよう主張しました。
こうした流れを受けて、県は平成10年8月に、地元住民代表と公衆衛生、分析、医学、気象学などの専門家による「茨城県ダイオキシン類関連健康調査検討委員会」が設置されました。委員長には茨城県の健康科学センター長・細谷憲政氏、副委員長には国の環境衛生院疫学部理論疫学室長・丹後俊郎氏が就任しました。
この検討委員会は、城取清掃工場周辺の4地区ごとに30名の検査対象者を募り、合計120名の血中ダイオキシン類の農度を検査しました。調査は当時環境庁がダイオキシン類の分析を委託していた「新日本気象海洋株式会社」が行いました。
また、その一部(12検体)は、井手県議らの主張を取り込れ、海外の検査機関(ドイツのエルゴ社)にクロスチェックを依頼しました。
健康を脅かす高濃度の人体へのダイオキシン暴露は見られない:検討委員会の結論
この調査結果は、翌平成11年5月に中間報告、10月に最終報告がまとめられました。
それによると、「検出値に関しては、平均値が9.7pg(最低値が4.1pg、最高値が24pg)と、これまでの環境庁が行った大阪府能勢町や埼玉県所沢市などの住民を対象とする調査の結果と比較しても低い状況にあった。このことは、今回の結果を見る限り城取清掃工場周辺に健康を脅かす高濃度の人体へのダイオキシン暴露は見られなかったと言えよう」というものでした。
この検討委員会に対して、井手県議は最初に高濃度のダイオキシン暴露を指摘した宮田教授を委員会に招聘することを提案しました。さらに、宮田教授が採血して分析した60人分の分析データーを委員会に提供していただき、対比しながら検討すべきであると主張しましたが、宮田教授からの協力はいただけなかったようです。
茨城県での城取清掃工場のダイオキシン問題は、この検討委員会の結論をもって、裁判所での議論に移っていきます。龍ヶ崎地方塵芥処理組合をめぐる訴訟はすべて結審し、住民側の損害賠償などの訴えは全て退けられました。(談合問題による訴訟とは別です)
一方、できるだけ健康リスクを低くおさえる努力は不可欠であり、国のダイオキシン対策法に基づき、県内のゴミ焼却施の建て替えが進みました。城取清掃工場も「くりーんプラザ・龍」として生まれかわりました。
「ダイオキシン・神話の終焉(おわり)」林教授との出会い
林教授との出会いは、その著書「ダイオキシン 神話の終焉(おわり)」を手にした時からでした。当時の感想は衝撃を受けたと言っても過言ではありません。その読了後、ホームページに「『ダイオキシン・神話の終焉(おわり)』を読む」(http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/980610dai.htm)を掲載しました。このホームページを林教授がご覧になったようです。
その後、私のホームページの内容を林教授はご自身の別の著作でも引用して下ださっています。
今回、城取清掃工場の問題が顕在化して18年の歳月を経て、直接、林教授とゼミ生の皆さんとお会いすることができました。
林教授は今年、目白大学を退官されるそうです。「第一線を退りでいても、科学者として自らの取り上げた課題に生涯たずさわっていきたい」と、静かに語っていたのが印象的でした。

当時、摂南大学の宮田秀明教授が周辺住民の血症検査を行ったところ、最大463pg(TEQ/g脂肪)の血中ダイオキシン量を検出したというものでした。これは、宮田教授が平成8年3月に城鳥清掃工場の2km以内の風下に居住する住民60名から血液を採取。その内、分析が済んだ18人分の分析結果を平成10年6月4日に開催された「日本環境化学会第7回環境科学討論会」で公表したものです。
それによると、最高値を示したのは女性で、463pgとの数値は、平成10年1月に埼玉県所沢市の調査での最高値(29pg)の16倍に及ぶ高い濃度でした。尚、一般的には日本人の血中ダイオキシンの濃度は、20pg程度であると言われています。男性13人の平均は81pg、女性5人の149pgに達していました。
この結果は、大きくマスコミに取り上げられ、住民から健康被害に対する損害賠償訴訟も提起されました。
井手県議ら公明党は、こうしたダイオキシンよる健康被害の可能性を重要視し、県が周辺住民の健康調査を責任をもって行うよう提案。また、城取清掃工場を早期に建て直すよう主張しました。
こうした流れを受けて、県は平成10年8月に、地元住民代表と公衆衛生、分析、医学、気象学などの専門家による「茨城県ダイオキシン類関連健康調査検討委員会」が設置されました。委員長には茨城県の健康科学センター長・細谷憲政氏、副委員長には国の環境衛生院疫学部理論疫学室長・丹後俊郎氏が就任しました。
この検討委員会は、城取清掃工場周辺の4地区ごとに30名の検査対象者を募り、合計120名の血中ダイオキシン類の農度を検査しました。調査は当時環境庁がダイオキシン類の分析を委託していた「新日本気象海洋株式会社」が行いました。
また、その一部(12検体)は、井手県議らの主張を取り込れ、海外の検査機関(ドイツのエルゴ社)にクロスチェックを依頼しました。
健康を脅かす高濃度の人体へのダイオキシン暴露は見られない:検討委員会の結論
この調査結果は、翌平成11年5月に中間報告、10月に最終報告がまとめられました。
それによると、「検出値に関しては、平均値が9.7pg(最低値が4.1pg、最高値が24pg)と、これまでの環境庁が行った大阪府能勢町や埼玉県所沢市などの住民を対象とする調査の結果と比較しても低い状況にあった。このことは、今回の結果を見る限り城取清掃工場周辺に健康を脅かす高濃度の人体へのダイオキシン暴露は見られなかったと言えよう」というものでした。
この検討委員会に対して、井手県議は最初に高濃度のダイオキシン暴露を指摘した宮田教授を委員会に招聘することを提案しました。さらに、宮田教授が採血して分析した60人分の分析データーを委員会に提供していただき、対比しながら検討すべきであると主張しましたが、宮田教授からの協力はいただけなかったようです。

一方、できるだけ健康リスクを低くおさえる努力は不可欠であり、国のダイオキシン対策法に基づき、県内のゴミ焼却施の建て替えが進みました。城取清掃工場も「くりーんプラザ・龍」として生まれかわりました。
「ダイオキシン・神話の終焉(おわり)」林教授との出会い
林教授との出会いは、その著書「ダイオキシン 神話の終焉(おわり)」を手にした時からでした。当時の感想は衝撃を受けたと言っても過言ではありません。その読了後、ホームページに「『ダイオキシン・神話の終焉(おわり)』を読む」(http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/980610dai.htm)を掲載しました。このホームページを林教授がご覧になったようです。
その後、私のホームページの内容を林教授はご自身の別の著作でも引用して下ださっています。
今回、城取清掃工場の問題が顕在化して18年の歳月を経て、直接、林教授とゼミ生の皆さんとお会いすることができました。
林教授は今年、目白大学を退官されるそうです。「第一線を退りでいても、科学者として自らの取り上げた課題に生涯たずさわっていきたい」と、静かに語っていたのが印象的でした。