海鵜<ウミウ>捕獲場所が崩落
国民宿舎「鵜の岬」の隣接地
十王町・伊師浜海岸/全国11箇所の鵜飼いに黄信号

030627ide_numata 岐阜県の長良川をはじめ、全国の鵜匠に鵜飼いに使う海鵜(ウミウ)を供給している十王町伊師浜海岸にある捕獲場が、2003年6月18日、大規模に崩落しました。
 6月27日、井手よしひろ県議は、県内唯一の鵜捕獲人・沼田弘幸さんを訪ね、現況を聴取しました。
 沼田さんは、「町や県の行政とも相談して、足場を作り直すなどの善後策を検討しなければ、全国の鵜飼いに影響が出てしまう。一個人として鵜捕獲場所を再建することは不可能です」と厳しい現状を語りました。(写真左側が沼田弘幸さん、右側が井手県議)
 この捕獲場は県営国民宿舎「鵜の岬」の裏側にあたり、断崖絶壁に設けられた長さ約15mメートル、幅約3mメートルの足場や鳥屋(とや)と呼ばれる作業場が、10m下の海中に岩盤ごと崩落してしまいました。
 付近は、火山灰の地層が隆起したもろい地質で、波浪による食が著しい。かつては鵜の捕獲者が多くいて、捕獲場も5カ所ありましたが、次々に崩落。沼田さんの捕獲場が最後に残った一箇所でした。

◆長良川、関、犬山など復旧が遅れれば鵜飼いに深刻な影響
 約1300年の伝統がある岐阜市の長良川鵜飼でも、十王町の海鵜が活躍しています。6人の鵜匠はそれぞれ約20羽を飼っており、毎年2羽程度を購入し、訓練しています。鵜匠代表の山下純司さんは「現地を訪ねたことがあり、もともと崩落しやすい場所だと聞いた。すぐに困ることはないが、復旧が長引くようだと心配。関係者が努力して、何とか早く捕獲場を確保してくれれば」と話しています。
 岐阜県関市の小瀬(おぜ)鵜飼でも、3人の鵜匠がそれぞれ毎年2羽ほど購入。今春に3羽購入した鵜匠の岩佐昌秋さんは「今秋にも買う予定で、早く直してもらわないと、来年の鵜飼いに影響が出てくる。個人での修復は難しいと思うので、町などが補助してほしい」と行政の支援に期待しています。
 また愛知県犬山市と岐阜県各務原市境で行われている「木曽川うかい」は42羽の鵜すべてを沼田さんに依頼。今年も4羽を注文をしています。
 犬山市職員で鵜匠歴37年のベテラン武藤孝義さんは「捕獲場の地盤は軟らかく以前も崩落があったのでまた起きないかと心配していた」と打ち明け、「捕獲シーズンとずれたのが不幸中の幸い」と語りました。(日 刊 県 民 福 井 より)  

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崩落した現場付近の状況
(崩落現場には地上から近づけないため10m程度南側の崖の様子です)
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崩落前の捕獲場所の写真
(沼田さんより写真の提供をいただきました)


十王町伊師浜海岸−−海鵜(ウミウ)の国内唯一の捕獲場所
 鵜飼は、海鵜(ウミウ)を飼いならして魚を取る漁法です。長良川が特に有名ですが、全国12箇所で営々と行われています。その歴史はきわめて古く、およそ1300年前から行われています。日本書記、古事記などにもその記述が見られます。
 鵜飼の鵜は渡り鳥で、自然に生まれ育った鵜を捕獲して、飼い慣らしたものです。
 その鵜を捕獲する場所=鵜捕場は、茨城県十王町伊師浜海岸で、全国の鵜飼に使われる鵜のほとんどが、ここから供給されています。
 鵜は保護鳥に指定されていますので、捕獲に都道府県の許可が必要で、一般の人は捕獲できません。
 鵜捕りのシーズンは毎年4〜6月の春季と10月〜12月秋季で、春季は繁殖のために南から千島列島や北海道沿岸部へ向かうために通過する鵜を狙い、秋季は越冬のために北から本州沿岸部や九州方面へ向かうために通過する鵜を狙います。十王町は、ちょうどこの通過地点になっています。特に、海に突き出した伊師浜の断崖絶壁が、鵜の休憩地点としても最高の場所となります。
 ここに、鳥屋(とや)と呼ばれる小屋や見張所、物置や作業所を設け、休憩のために降りてきた鵜を捕らえるのです。鳥屋の外にはおとりの鵜が置かれています。仲間が休憩していると、安心して空から降りてくる鵜を捕まえてしまう作戦です。
 かつては鳥もちを篠竹の先につけたもち竿を使って、鵜の尾羽根あたりを巻き付ける様にして捕獲していましたが、羽根を痛めてしまうことが多いため、沼田さんは「かぎ棒」によって捕獲しています。このようにして捕らえた『鵜』が鵜飼に使われます。

『鵜との駆け引き』−−海鵜の捕獲方法
030627numata_s 沼田さんの鵜捕場は、太平洋につきだした海面から高さ20メートルはある断がい絶壁にありました。県の国民宿舎「鵜の岬」に程近い、松などの常緑樹に囲まれた場所です。一般の人は立ち入りが出来ないようフェンスが巡らされ、扉には大きな南京錠がかけられています。
 沼田さんは、 丸太で骨組みをつくり、壁はこもを編む鳥屋(とや)に身を潜め、双眼鏡を目に当てて海鵜の動きを追い、捕獲のタイミングを狙います。鳥屋の外には、逃げないように足かせを付けたおとりの鵜が置かれています。
 「鵜との駆け引き」と沼田さんが表現する猟は、まさに鵜との我慢比べです。いつ飛んでくるか分からない鵜に全神経を集中させます。飛来しても、すぐに捕獲することはできません。海鵜が羽虫を捕り始め、安心感を持つまで待つのです。鳥屋の中で息を殺して、長いときは30分間、じっと海鵜のしぐさを見つめていることもあるという。満を持して、篠(しの)の棒の先にU字形の針金を取り付けた長短約10本のかぎ棒から、鵜の大きさや、距離などを計算して1本を選び、鳥家のすき間から海鵜の足にかぎを引っ掛けて、鳥屋の中に一気に引き込みます。
 二歳ぐらいの若くて元気な海鵜以外は、そのまま逃がすのだと沼田さんは語ってくれました。「群れについていけず休みに来るのは、老いているか、若くても小さい鵜が多い。10羽飛んできて2羽捕まえればいい方だ」といいます。
(写真は、崩落した捕獲場の入り口で説明する沼田弘幸さん2003/6/27)

最後の鵜捕場が崩落−−再建は行政の責任
030627numata2_s 沼田さんの幼い頃は、この地域だけでも鳥家が5箇所はあったといいます。しかし、火山灰の地層が隆起した付近の地盤は軟らかく波の浸食が激しく、次々に崩落。沼田さんの捕獲場も、10数年前に一部で大きな崩落があり、階段を作り直したり、鉄パイプをがけに埋めて補強していました。
 今回の大規模な崩落により、完全に鵜捕場は消滅しました。このままでは、全国11箇所の鵜飼場(全国12の鵜飼い開催地の中で有田市をのぞく11箇所が十王町から供給されるウミウを使って鵜飼いを行っています)への、鵜の供給は出来なくなります。
 鵜捕場の再建には、多額の費用がかかり、乗り越えなくてはならない多くの課題があります。
 この場所は県有地で、工事自体には県の許可が必要です。絶壁で斜面を削り、整地するなどの困難な工事となるうえ、すべて手作業となり、費用も増大します。そもそも崩れやすい危険な場所に、構造物を建設することに、行政が簡単にゴーサインを出すとも思えません。
 さらに、現場の海域はアワビなどの漁場のため、漁業関係者との調整も不可欠となります。
 鵜捕場の再建は、一個人の事業の問題ではありません。鵜の岬という大きな観光資源をもつ十王町にとって、町のシンボルを失うことを簡単に認めることはできません。鵜飼いという、日本の伝統文化を守るという観点からも、行政が積極的に係わる必要があると思います。
(写真は、崩落した捕獲場の10m南側で撮影2003/6/27)

参考:全国の鵜飼いの場所(有田市をのぞき、全て十王町から鵜が供給されています)
山梨県石和町笛吹川石和町商工観光課055−262−4111
岐阜県岐阜市長良川岐阜市経済部観光コンベンション課058−262−0104
岐阜県関市長良川関遊船(株)0575−22−2506
愛知県犬山市木曽川日本ライン観光(株)0574−28−2727
京都府宇治市宇治川(有)宇治川観光通船0774−21−2328
京都府京都市大堰川(保津川)嵐山通船株式会社075−861−1627
和歌山県有田市有田川有田川鵜飼組合0737−88−5151
広島県三次市江の川(馬洗川)社会法人三次市観光協会0824−63−9268
山口県岩国市錦川(財)錦川鵜飼振興会鵜飼文化事業部0827−41−0470
愛媛県大洲市肱川大洲市観光協会0893−24−2664
大分県日田市三隅川日田市旅館遊船共同組合0973−22−2062
福岡県杷木町筑後川原鶴温泉旅館組合0946−62−0620




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