8月27日、アニメ映画「この世界の片隅に」の上映会が、日立市民会館で催されました。「この世界の片隅に」 は、こうの史代さんのコミックをアニメ化したドラマ。戦時中の広島県呉市を舞台に、ある一家に嫁いだ少女が戦禍の激しくなる中で懸命に生きていこうとする姿を追い掛け、市井の生活を壊していく戦争の恐ろしさを訴えた作品です。そこに生き抜く庶民の強さが活き活きと描かれています。 昨年(2016年)11月に日本国内で封切られました。当初は63館でしたが、SNSや口コミで人気が人気を呼び、計360館、累計動員数200万人・興行収入26億円を突破するなどミニシアター系の映画としては異例のヒットを記録しました。今年になっても、公共ホールなどで上映会が引き続き行われています。同じく昨年公開されて大ヒットとなった「君の名は」とともに大きな話題となりました。
 井手よしひろ県議も、昨年12月に次いで2回目の鑑賞となりました。今回の映写会には、飛び入りで「この世界の片隅に」の企画に携わった丸山正雄さん(アニメ制作会社MAPPA会長)が舞台挨拶。日本アニメ界のプロジューサーとしては最長老の丸山さん。そのアニメに関する世界観を垣間見ることが出来ました。
丸山正雄さん 挨拶に熱がこもり挨拶が、上映開始予定時間に食い込むと、丸山さんのことを知らない観客から「早く上映を始めろ!」との罵声が飛ぶ一コマも。「出来てしまった作品は自分の手元を離れています。その作品が早くみたい言っているのだから、ムッとくるどころか感謝です」と、本人はまったく意に介さない様子でした。
 この日、丸山さんが日立を訪れたのは、ご親類のお墓参りのため。そのご親類の方の計らいで、舞台挨拶とその後のランチミーティングが企画されました。
 ミーティングでは、参加者からの様々な質問に答える形で、これまでのアニメづくりへの思い入れや、人づくりなどが語られました。
 「特にアニメづくりはチームプレー。そのチームに参加する人間は50点であればよい。マイナス分の50点はほかの人に任せればよい。これがチームプレーです。人間は半分もよいところがあればよいと思っています」。映画には、“丸山正雄”という名前が入っていないのはなぜかと聞くと、 「本来、名前を売らなければならないのは監督だとか絵描きとか、そういう人。縁の下にいる僕らが自分で作ったような顔をするなと言いたい」と、お茶目な表情で語ってくれました。
 「映画やアニメによる地域おこし、地方創生について思うところがあれば教えて下さい」と質問してみると、「まず、その街をよく知ることが大事です。『この世界の片隅に』のモチーフとなった歴史的な建造物を残したかったのですが、お金がなくで出来なかった。なくなった呉の街をアニメで蘇らせたかった。片渕監督は、徹底的に細部にこだわり、その日風がどこからどこに抜けて、雲行きがどうであったかも徹底的に調べた。それを何月何日にどうだかったか、記憶しています。広島のデパートの前の手すりが真鍮製だったか、どうかまでこだわった。そこまで調べてやっているから、映画を観て、その雰囲気を実感したいという人が集まるのではないでしょうか」と、答えてくれました。
 知る人ぞ知る日本アニメ界のレジェンド丸山正雄さん。76歳とは思えない、好奇心の塊、大きな元気をいただいたひとときを過ごすことが出来ました。

丸山正雄さんと井手よしひろ県議
丸山正雄(まるやま・まさお)
1941年6月19日(76歳)
アニメーションプロデューサー。元マッドハウス取締役社長、現MAPPA代表取締役会長、スタジオM2代表取締役社長。
日本のアニメ業界の黎明期からプロデューサーとして活躍している一人。
法政大学卒業後、フリーターを経て、1965年に虫プロダクションに入社。当時は手塚治虫率いる虫プロによるテレビアニメーションの創成期でもあり、人手はいくらあっても足りなく、寝る間もない状況下の中制作に関わる。
1972年、虫プロダクションの経営危機に際して独立して、マッドハウスを設立。アニメ版「時をかける少女」、「サマーウォーズ」などのヒット作を世に送る。
2010年から「この世界の片隅に」のアニメ映画化を企画。
2015年3月、「この世界の片隅に」パイロット・フィルム資金調達のためのクラウドファンディングをスタート。開始2時間で支援者120名、支援金200万円超を調達。5月末までに、374名約4000万円の支援金が集まる。
2016年11月、「この世界の片隅に」の映画館上映スタート。