茨城県議会(手前)と県庁舎
 12月7日、茨城県議会一般質問が行われ、自民党県議が東海第2発電所の再稼働問題について「わが国の原子力行政を担う本県の知事としての責任」との項目で質問を行いました。
 この質問で、自民党県議は「先の大戦から教訓を得るとすれば、それらは"戦争はいけない"や"武力による問題の解決はいけません"といった幼稚なものではなく、"国際情勢を見、相手の国力と自国の国力を冷静に分析し、感情に流されず採るべき手法を判断する"ということではないでしょうか」「震災から学ぶべき教訓は"原子力は危ないからやめる"といった幼稚なものではなく、"原子力の安全神話を前に思考停止せず、あらゆる可能性を追求し、想定外をも想定したうえで原子力施設の安全を確保する方法を探る"ということであります」などと冒頭発言しました。(このブログでの引用は、インターネットなどの音声データを文字おこししたものであり、正式な議事録ではありません)
 「戦争はいけない」「原子力は危ない」という思いを『幼稚』という二文字で切って捨てるその感覚には閉口し、耳を疑いました。
 私たち茨城県議会公明党は、「戦争はいけない」「原子力は危ない」という、この県議が言うところの『幼稚』な発想を、誰よりも大切にして、県議会の議論に臨んできました。こうした『幼稚』な発想をもとにして行動している県議会議員の立場からみると、原子力行政をこのよな考えで進めて行こうとする姿には、背筋が冷たくなる思いがします。
 質問を続けて引用します。「"戦争はいけない"とか"原子力は危ない"という単純な言葉で、国家の安全保障に関わる重要な政策が語られるべきではありません。(中略)原子力のパイオニアである本県において、行政や議会が"原子力は危ないから止めよう"とか"96万人は多いから、止めよう"といった『幼稚』で責任そのものを放棄するような議論や、選挙がある度にパフォーマンスで脱原発を訴える風潮は即刻やめるべきであります」と続きます。
 「原子力は危ない」という感情は県民の率直な気持ち、感情です。「96万人は多いから、止めよう」とは、原子力がゼロリスクではないことを認めるならは、非常に合理的な判断です。

 さらに、「しかし、行政と事業者、県民と業者、紳士協定の意味合いを持つ安全協定を見てもわかるように、この二者間で成り立つ信頼は、『事業推進』の立場でのみ存在する仕組みであり、本来、県民の想いを受ける立場にあるのは、行政であり議会なのであります」と発言しました。
 「安全協定は『事業推進』の立場でのみ存在する仕組み」との言葉にいたっては、原子力立地自治体の立場を軽んずるもので、地方自治体の議員としては、絶対に看過できない発言です。
 地元自治体は、実態的に原子力施設の大幅な改築や増設などに対しては「拒否権」を有しています。これが否定されるならば、原子力事業者と自治体の健全な緊張関係は崩れてしまいます。

 そして結論部分は、「独立性が担保され原子力規制専門家集団である原子力規制庁に指導監督され許可された計画を実行する原子力事業者の"安全"を、"安心"に変えるために必要な仕組みを、新しい県のリーダーと共に、しっかりと作り上げなくてはなりません」と締めくくりました。一見、もっともらしい表現になっていますが、県や地元自治体は原子力事業者の広報部門=下請けであるという認識で貫かれています。
 県議会は健全な言論の場です。どのような考え方を開陳しようと、虚偽や他人の人権を侵さぬ限りその言論は保障されます。しかし、沈黙は、その発言を容認することにつながると考えます。あえて、県民の安全といばらきの未来を守る立場から反論を掲載させていただきました。