東日本大震災アーカーブ宮城
 間もなく東日本大震災から7年。あの日の教訓は、どのように深化し、広がりをみせているのか。震災の風化を防ぐため、震災の記録を後世に残し続けようとする活動(アーカイブ活動)が被災地で広がっています。
 キーワードに「津波」と打ち込み、検索すると、画面には、震災当時の市街地の様子や津波の脅威を伝える写真、映像などが一覧で表示されます。その数、約1万点。宮城県が運用する「東日本大震災アーカイブ宮城」のウェブサイトで公開している膨大な“あの日の記録”です。
 写真や文書などを収集して保存、公開するアーカイブ活動は、震災の風化を防ぐ上で大きな役割を担います。宮城県は全市町村と連携して、3・11関連の資料を22万点も公開、自治体の防災対策や防災教育などで活用できるようにしています。
気仙沼市の津波被害の状況(宮城県アーカイブ)
 アーカイブ事業に取り組むのは宮城県図書館。担当者は「今すぐではなくても、数十年後には役に立つかもしれない。残し続けること、それ自体が重要」と力説します。
日立市会瀬海岸の津波の状況(茨城県アーカイブ)

 1995年の阪神・淡路大震災以降、徐々に機運が高まっていたアーカイブ活動は、東日本大震災を機に本格化し、全国に広がりました。主体は自治体はじめ学術機関や企業、NPOなど多岐にわたり、3・11関連の資料をデジタル化の手法で公開している団体だけでも40を超えています。
 広がりの背景について、震災アーカイブ「みちのく震録伝」を運営する東北大学災害科学国際研究所の柴山明寛准教授は、「デジタル化が進み、写真や映像など情報が取得しやすい環境になった」と指摘。さらに「“過去の災害の教訓を生かせなかった”という強い思いも影響しているのでは」と付け加えます。
 時間の経過とともに埋もれ、失われてしまう貴重な震災記録をどう残し、後世に伝えていくか――。災害科学国際研究所では、アーカイブ活動のあり方を巡って、被災地の関係者が討論するシンポジウムを開いています。
 「震災から7年を迎え、アーカイブは第2段階に入ってきている」と、今年1月に開かれたシンポジウムで今村文彦・同研究所長はこう呼び掛け、これまでに収集した資料を「どう利活用していくかが今後の最も重要な課題だ」と強調しました。そうした問題意識から、多くの官民団体が工夫を凝らしたアーカイブ活動を繰り広げています。
 仙台市民らでつくる任意団体「3・11オモイデアーカイブ」もその一つです。「震災の中の生活」を残そうと、市民が携帯電話のカメラで撮影した写真などを集め、活用しています。
 中でもユニークなのが、仙台市の文化施設「せんだいメディアテーク」と協働で開いている「3月12日はじまりのごはん」という写真展です。炊き出しや買い物、食卓の風景など震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、思い出したことを来場者に自由に書いてもらいます。参加型の企画として、神戸、福島、横浜などでも開き、好評を博しています。
 「3・11オモイデアーカイブ」の佐藤正実代表は、「風化を防ぐためにも、震災に対して市民の“関わりしろ”をつくり、広げていくことが大事だ」と語ります。
 震災の教訓を10年、100年先の未来に残していけるかどうか。アーカイブ活動の広がりが果たす役割は、今後ますます大きくなってきます。
 茨城県や県内市町村の取り組みも、もう一度検証してみたいと思います。