イメージ
 3月1日、茨城県立多賀高校の卒業式が行われ、井手よしひろ県議は来賓を代表して祝辞を述べました。井手県議は、多くの市民の支援を受けて制作が進められている映画「ある町の高い煙突」(松村克弥監督)に関連して、日立の大煙突の奇跡の歴史を作った若者の姿を紹介しました。以下、祝辞の原稿を掲載します。

 ただ今、ご紹介を戴きました茨城県議会議員の井手よしひろです。
 卒業生の皆さま、保護者の皆さま、ご卒業誠におめでとうございます。この晴れの門出に当たり、一言お祝いの言葉を申し上げます。

 現在、昭和の文豪・新田次郎の名作「ある町の高い煙突」の映画制作が進んでいます。この3月下旬にクランクインし、来年春の上映を目指します。
 この「ある町の高い煙突」は、今から100年前、この日立の町で命をかけて環境破壊と戦い、愛と誇りを守った若者達の物語りです。
 前途有望な道を捨て、住民たちのために奔走した農村の若者。その情熱と信念が世界にも類例のない奇跡を生みました。
日立の大煙突
 明治38年、この地に開業した日立鉱山。やがて鉱山の宿命とも言える「煙害」が発生。亜硫酸ガスが山を荒らし、農民たちの命である作物までも奪っていきました。
 そこで、立ち上がったのが地元の若者、関右馬充でした。
 右馬之丞は郷土であった名家に生まれ、地元の高校(現在の太田一高)を卒業し、東京大学教養学部に合格。前途洋洋の未来が待っていました。
 祖父がその煙害による心労で、病に倒れ、右馬之丞は誓います。「おれは村に残る。祖先の墓と祖父様の遺体を汚した、この煙を絶対に許すことはできない!」と、
 右馬之丞は東大への進学を断念し、地元住民とともに日立鉱山との苦闘のドラマに青春を賭けます。
 この右馬之丞の情熱を受け止めたのが、日立鉱山庶務課長だった角(かど)弥太郎です。
 この2人を中心に、住民と企業は争うのではなく、粘り強い話し合いと試行錯誤を繰り返し、煙害に立ち向かっていきました。そして、日立鉱山創業者の久原房之助の提唱で日立の大煙突が建設されたのです。大煙突は、煙突として当時世界で最も高い155.7メートルで、CSR(企業の社会的責任)の原点ともされています。

 ここで注目していただきたいのは、このドラマをつくりだした主人公達の年齢です。
 関右馬允が、被害者の代表として鉱山と向き合ったのは18歳から20代半ば、角弥太郎は30代後半、久原久之助も30代後半、久原のもとで日立製作所を創業した小平浪平は30代前半でした。
 日立の大煙突の物語を紡いだのは、高校を卒業して間もない青年達だったのです。
 日立の若き先人は、地域を守ろう、新しい日本をつくろうと各々の志を掲げ、一途に前へ前へと進み続けました。
 皆さんには無限の可能性があります。歴史を拓く大きな力があることを確信してください。

県立多賀高校卒業式
 20世紀最高の歴史学者と言われるイギリスのアーノルド・トインビー博士は、「挑戦と応戦」という法則を、私たちに教えてくれています。
 「文明というものは、つぎつぎに間断なく襲いきたる挑戦に、応戦することによって誕生し、成長するものである」と、強調しています。
 今、多賀高校を卒業し、社会に旅立つ皆さん。多賀高校卒業という誇りと、常識のとらわれず、未来を開いていこうという気概をもって、厳しい変化、変化の社会の中で、勝ち抜いて行っていただきたいと思います。
 皆さんの新たな生活に栄光あれとお祈りし、お祝いの言葉といたします。
 本日は本当におめでとうございました。