東日本大震災 茨城の記録〜前編

 3月11日、東日本大震災から7年目の節目の日。あの日と同じように、厚い雲に覆われ、肌寒い一日となりました。
 大震災からの歳月は、私たちにとって大きな変化の7年間でした。大震災のその日の思いを、絶対に風化させてはならないと思います。
 東日本大震災の記録は莫大な量の動画や写真に収められ、マスコミやネットで公開されています。しかし、残念ながら当時“忘れられた被災地”と言われた茨城県の被災状況を記した資料は非常に少ないのが現実です。
 このブログで紹介する2つの動画は、当時の「いばらきネットテレビ」(現・STUDIOタイムカプセル)が、茨城県内各地の被害状況を撮影しYouTubeなどで配信したものです。この番組はその総集編(前編・北茨城〜ひたちなか)で、2011年10月16日に国営ひたち海浜公園で開催されたオータムフェスティバル用に編集されたものです。
 まとまった記録としてはとても貴重なものです。

東日本大震災 茨城の記録〜後編

 「天災は忘れた頃にやってくる」とは、寺田寅彦の言葉とされています。寺田寅彦は物理学者、随筆家、俳人と多彩な才能を発揮しました。
 寺田寅彦随筆集(第五巻)「天災と国防」に次のような一文があります。
 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水がくるか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然来襲するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。最もこうした天然の敵のためにこうむる損害は敵国の侵略によって起こるべき被害に比べて小さいという人があるかもしれないが、それは必ずしもそうは言われない。たとえば安政元年の大震のような大規模のものが来襲すれば、東京から福岡に至るまでのあらゆる大小都市の重要な文化施設が一時に脅かされ、西半日本の神経系統と循環系統に相当ひどい故障が起こって有機体としての一国の生活機能に著しい麻痺症状を惹起する恐れがある。万一にも大都市の水道貯水池の堤防でも決壊すれば市民がたちまち日々の飲料水に困るばかりでなく、氾濫する大量の流水の勢力はすくなくも数村を微塵になぎ倒し、多数の犠牲者をだすであろう。水電の堰堤が破れても同様な犠牲を生じるばかりか、都市は暗闇になり肝心な動力網の源が一度に涸れてしまうことになる。
 こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教えることから判断して決して単なる杞憂ではない。しかも安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかったから幸いであったが、次に起こる「安政地震」には事情が全然ちがうということを忘れてはならない。

 明日くるかもしれない、大地震、大自然災害に備える警戒感だけは持っていきたい。