映画「ある町の高い煙突」を応援する会の方が、いばらき観光マイスターS級の受験用に作成したプレゼンテーションの原稿をアップします。
プレゼンの想定は、日立駅で50〜60台の女性2人から写真撮影を頼まれたことをきっかけに日立市内の観光スポットを紹介しています。特徴的なのは、列車とバスを利用したお客様のご案内ということです。S級試験の大部分の受験者は自家用車(レンタカー)での観光を前提としています。公的な交通機関が乏しい、茨城県の県北地域を列車やバスで旅することは、かなり工夫が必要です。この原稿を作成した人は、普段全くバスは利用しませんが、公共機関を利用して日立を訪れた観光客を想定して、実際にバスに乗った体験をもとにプレゼンを組み上げました。
観光マイスター試験も、多様なお客様に対して(例えば、公共交通機関を利用、サイクリスト、中国語圏・英語圏の外国人など)多角的なおもてなしができるよう工夫する必要があるでしょう。
今日はどちらからお出でですか?東京ですか?(死ぬまでに一度は行ってみたい「まるで海に浮かぶカフェ」で日立駅をネットで知り、友達二人で遊びに来ました)
そうですか。ありがとうございます。日立駅から眺める、この海の景色は日立市民にも人気があります。日立出身の世界的な建築家妹島和世(せじま・かずよ)さんが設計したんです。
今日これからのご予定は?日帰りですか?(特段予定を決めていない気ままな小旅行です。泊まっても日帰りでもいいと思っています)
そうならば、是非、宿泊してほしいですね。日立の海は秋から冬にかけて水平線がくっきり見えて美しいんです。この駅から見る日の出はとてもきれいです。
駅にも大きなポスターが貼ってあったと思うですが、今年6月から「ある町の高い煙突」が、全国ロードショー公開されています。新田次郎の小説「ある町の高い煙突」映画化したもので、この日立で実際にあった話しを映画化したものなのです。
この映画のゆかりの地巡る旅をオススメします。
日立は元々小さな農業と漁業の村でした。現在のような工業都市になったのは、明治38年に秋田県の小坂鉱山から来た久原房之介が、経営不振に苦しんでいた赤沢銅山を買い取った事から始まります。日立鉱山が大きく発展し、鉱山の電動機器の修理を担当していた部署がやがて分離独立して日立製作所になります。そしてこの発展で日立市は工業都市となったのです。
この映画は、日立鉱山が本格的に操業を始めた明治の終わりから大正のはじめの頃の話です。鉱山から排出される亜硫酸ガスによる煙害のために、農作物や山林の被害は深刻なものでした。しかし、住民と企業は争うのではなく、協力して煙害に立ち向かう道を選択しました。そして、1914年に155.7メートルの大煙突が建設されたのです。当時は世界一の高さだったそうです。
足尾銅山のように多くの鉱山が企業と住民が争い決裂した歴史がある中で、奇跡的な歴史が、ここ日立には残っています。それが、私たち日立市民の大きな誇りなんです。
この交渉に当たった住民の代表、20代前半、企業側の代表は30代半ば、鉱山主が30代後半と全員が青年だったところに、この奇跡の歴史が生まれた要因がありました。
日立の大煙突は、残念ながら、平成5年に3分の1を残して折れてしまいました。でも、日立市民にとっては、その大煙突の存在感は全く変わっていません。
駅前のバス停の「1番乗り場」から東河内(ヒガシゴウト:東にさんずいの河内と書きます)行に乗れば全部行けます。
バスの時間が1時間〜2時間に一本なので目的地でバスを降りた時に次のバスの時間を確認してくださいね。
日立駅を出発して10分ぐらいで「武道館前」に着きます。降りたところが共楽館です。共楽館は現在、日立市の武道館に使われいるので「武道館前」なんです。声を掛ければ中も見せてもらうことができます。
この先少し歩いて戸来商店という、うどんが美味しいお店があります。私はかも汁うどんがお気に入りです。ぜひ、ご賞味ください。
再び「武道館前」からバスに乗って2、3分過ぎると右側に折れた大煙突が見えてきます。その下には日立鉱山から現在、JX金属となった会社がありそのJX金属を通り越したあたりから大煙突をみると大煙突の下に、太い煙突が見えます。その煙突は「だるま煙突」と言って煙害対策のために建てられたけれども全く役に立たなかったの煙突です。地元の人は「阿呆煙突」と呼んでいました。
この二つの煙突が縦に並んで見える場所があります。この映画を制作した松村監督はこの角度からの大煙突を再現させたいと言っていました。
10分ぐらい乗ると日鉱記念館に着きます。
見どころ一杯ですが、掘り進んだ坑道や鉱脈の模型がまるでアートのように再現されたジオラマは圧巻です。
記念館を中心に1万人が住んでいた当時の本山地区の写真記録「鉱山町の暮らし」が2階に何気に置いてあります。見落としがちなのですが、ぜひ、立ち止まって見てみてください。そこには100年前に、都市から離れた不便な場所にある鉱山での事業を成功させるために「従業員が安心して働ける環境づくり」に取りくんだ創業者・久原久之助が目指した理想郷を見ることができます。
本館の隣接する鉱山資料館も、当時の大型のコンプレッサー・さく岩機などの鉱山で使用された様々な機材が一堂に並び、すごい迫力です。
駐車場の反対側には坑道への入口があり、塀でふさがれているけれどものぞくと少し中が見えます。記念館を見学すると、ほんとの方がのぞいてみたくなります。
日鉱記念からまたバスに乗りパワースポットとして有名になっている「御岩神社」を目指します。
バス停を降りて少し戻ると、湧き水と地元産の大豆を使ったおいしい豆腐を売っている「とうふ工房名水亭なか里」があります。オススメは寄せ豆腐とおからドーナツです。店内にはテーブルとイスがあるので食べることもできますよ。
さて、御岩神社は宇宙飛行士が、宇宙から地球を眺めた時に、一か所から強い光が見える場所があり、調べてみたらそこが御岩神社だった!との都市伝説があります
神社の入口の集落には「ある町の高い煙突」の主人公、関根三郎のモデルになった関右馬允(セキ・ウマノジョウ)さんの家もあり、100年前の風情がそのまま残った一角です。
この「ある町の高い煙突」ゆかりの地を巡るバス旅は如何ですか?
注意点はバスの時間が1時間〜2時間に一本なので目的地でバスを降りた時に次に来るバスの時間を必ず確認してください。
良かったら行ってみてください。日立のバスの小旅行を楽しんで行ってくださいね。