福島県大熊町 4月10日、東京電力福島第1原発事故の後、全町避難が続いていた福島県大熊町の一部で、避難指示が解除されました。事故から8年1カ月、福島第1原発の立地町で初めて住民帰還が進み出すことになりました。
 その陰には「彼らの存在があったからここまで来られた」(渡辺利綱町長)と語られる男たちがいます。3月末で6年間の活動を完了し、解散された「じじい部隊」こと、町の元職員ら6人です。ふるさとの町を守り抜いた6人の活動を4月11日付けの公明新聞から紹介します。

大熊町【じじい隊】
 陽光に照らされた彼らの表情には、誇らしさと、寂しさが入り交じっているように映った。役場新庁舎の開庁を前に、町の現地事務所で行われた“解散式”。6人の戦友は、節くれ立った手で花束を受け取ると、激動の日々を思い起こして目を潤ませた。「やり残した事は何もねぇ。最高の仕事ができたな」
 原発事故で全住民約1万1500人が避難を強いられてから2年後の2013年4月。町の総務課長だった鈴木久友さん(66)を中心に、じじい部隊は結成された。無人の町を守り、「俺たちが必ず帰れる環境をつくってみせる」と。
 メンバーは鈴木さんと、横山常光さん(66)、杉内憲成さん(67)、中島孝一さん(66)、岡田範常さん(66)、加井孝之さん(63)の6人。若き日からダム管理や建設、消防、測量などの業務を担い、町づくりの要として働いてきた仲間だ。
 6年前に町の臨時職員となり、交代で現地に駐在。被ばくのリスクを負ってパトロールや水路の維持管理、一時帰宅する町民の手伝いに汗して、誰よりも大熊の大地を踏みしめてきた。
 解散直前の活動もそう。町で最も高い日隠山にチェーンソーを担いで登り、展望台の雑木を伐採。翌朝も、冷たい雨に打たれながら国道288号の沿道を清掃に歩き、用意した袋が足りなくなるほどのごみを拾った。

「全域復興」の夢若き世代が継ぐ
 この1年は、町の若手職員とも行動した。大熊の守り手を任せる気持ちから「仕事が遅せぇ!」と叱責ばかりしてきたが、必死で食らいつく姿に感心。最後は「じじい6人の中に飛び込んで、よくここまで頑張ったな」とねぎらった。
 思わずうれし泣きする後輩に、「帰ってきた町民にしっかり対応してくれよ。もっともっと上へ行かないと、復興できないぞ」と厳しくも温かい声を重ねた。
 じじい部隊が若き世代に託すのは、町の全域復興という夢。長い時間を要するかもしれないが、きっと不可能ではない。男たちの背中を思い浮かべれば、勇気が湧いてくる。

 「かえろう」の文字を背に、ポーズを取る「じじい部隊」=2014年9月福島・大熊町
 「誰かが草刈りをしねぇ限り、雑草はそこに一生ある。大熊の復興も同じだ。一日一歩でも進んでいけば、いつか必ず帰れるようになっから」――。“解散式”が始まる前のひととき。メンバーの一人がかつて公明新聞に残した言葉について聞くと、横山さんは「な、その通りになっただろ」と笑って、胸の内を静かに語った。
 「俺たちは現地にいて、腹を決めていた。町の全てに責任を持つと。帰る、帰らないじゃない。環境を戻して初めて帰れるようになるんだ」と。帰郷を望む人が日に日に減り続けていた頃、6人がブルーシートで掲げた「かえろう」の文字は、自らを鼓舞する誓いでもあった。