大川小学校でのボランティ活動
 東日本大震災の2ヶ月後、平成23年(2011年)4月29日から運行を開始した石塚観光のボランティアバス(ボラバス)が、今年で丸8年目を迎えました。
 水戸市内の旅行会社「石塚観光」が、東日本大震災で被災した宮城県に、ボランティアを乗せたバスを運行し続けています。8年間で約600回以上往復、延べ約3万を運びました。
 私とボラバスとの出会いはNHKのニュース。ニュースで紹介されたボラバスを運行している石塚観光の綿引社長にいきなり電話したのがキッカケでした。茨城県も被災地で、私の自宅も屋根の瓦が落ち、大谷石の塀も倒れたままでした。しかし、東北の惨状を見るにつけ何か手助けができないかと思っていましたが、ボランティアといってもどのようにすれば良いのか良くわかりませんでした。そこに登場したのがボラバスです。石巻や東松島に、日帰りか1泊2日で何の心配もなくボランティア活動に参加できます。料金も日帰りで3000円という安さ。ぜひ、このボラバスを県内にもっと普及させたいと、石塚観光のドアをたたきました。
 綿引社長と初対面で話を伺い、その熱い思いに感激しました。当時はボランティア関連の車両は高速道路を無料で通行できる制度がありましたが、このボラバンスは当初該当していませんでした。早速、県を通して県の社会福祉協議会や国交省、高速道路会社などと連携し、復興派遣車両として認めていただき、高速料金を免除してもらいました。また、ボランティが使う土嚢袋が足らないという話を伺い、公明党の議員仲間から数百枚の土嚢袋をわざわざ千葉県から運んでもらったこともありました。県議会の同僚議員も進んでこのボラバスに乗って、被災地の支援活動を実際に経験しました。
 それから8年がたち、綿引社長は「石塚観光が最初にボラバスを立ち上げ、最後まで続ける」と語ったとおり、全国からボランティアを東北に届けています。
2011年5月のボラバスの模様
 4月29日、8年ぶりにボラバスに参加しました。現在、石塚観光のボラバスは綿引社長の地道な実践の中で、大川小学校遺族会の皆さまとの堅い信頼関係ができています。そして、ご遺族の方々のご配慮により大川小学校で花植えなどの作業をさせていただきました。遺族会の只野さんから、当時の模様や現在に至るまでの経過や問題点を、直接、伺うこともできました。
 最初のボラバスに参加して、今も継続して参加されている方々や私と同じように何年かぶりに参加して下さった方々、毎年この時期に参加し続けて下さっている方々、そして震災当時まだ小学校低学年だった今の高校生達も多く参加していました。中には、100回以上参加しているという方や、県外からの参加も多いのには驚かされました。
 綿引社長は「様々な形でボラバスを支えて下さる全ての皆様に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。平成から令和へと時代は移りますが、令和の時代も変わらずに多くの皆様と心を寄せながら、被災地の方々に『もう来なくて大丈夫です!』と言われる日までもう少し継続させていただきます」と語っていました。
 東北の被災地が名実ともに復興し、ボラバスの役割が完了する時が早く来ることを祈念いたします。