先進国の債務比率
 インフレにならなければ財政赤字がいくら膨張しても問題ないとする学説「現代貨幣理論(MMT)」。大統領選を2020年に控えた米国で巻き起こった論争が、いま日本にも飛び火しています。これまでの常識と真っ向から対立し、異端視されるMMTは現実的か否か。参院選の台風の目となったれいわ新撰組の経済政策も、MMTの考え方を踏襲したものといわれています。

■MMTの主張「赤字拡大は問題なし。完全雇用など達成へ際限なく財政出動を」
 MMT論者の主張は、「自国通貨建てで国債を発行する国は、自在にお札を増刷し、借金返済に充てられるから、決して破綻しない。赤字の拡大に問題はなく、特に完全雇用の実現などに、どんどん財政を出動させるべきだ」というものです。伝統的な政策理念に基づけば、財政赤字の野放図な拡大は、国債価格の暴落を通じて、通貨価値が下落するハイパーインフレを引き起こし、実質的な国家破綻につながる。このため、主流派の経済学者からは批判が広がっています。
 これに対し、MMT論者は財政政策で物価はコントロールできると結論付け、インフレはたやすく制御できると反論します。

■債務膨らむ日本が成功例?
 MMT提唱者の一人で、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授が、2020年の米大統領選に出馬表明している民主党のサンダース上院議員の顧問を務めたこともあって、米国のリベラル派からの支持が広がり、論争が巻き起こりました。そのケルトン教授が「MMTの成功例」として挙げたのが、ほかならぬ日本です。
 日本は毎年、財政赤字を重ね、債務残高は、国と地方の合計で現在1000兆円超。GDP比で約240%と、主要先進国の中で突出して高くなっています。
 これだけ債務残高が膨らんでいるのに、国債価格は下落せず、さらに日本銀行が“異次元の金融緩和”でめざす物価上昇率2%には届いていません。主流派経済学で説明しきれない現象が起きているのは事実です。
 MMTを批判する主流派の経済学者も近年、長期では財政再建が必要だが、景気刺激のための財政出動を容認するスタンスに変化してきています。
何が問題か/一橋大学大学院経済学研究科 佐藤主光教授に聞く

■物価の制御、楽観的すぎる/人々の反応へ配慮欠く“奇策”
 MMTは米国のリベラル派を中心に支持が広がっている。背景には所得格差の広がりなど市場経済への不信がある。日本では、消費税増税への嫌悪感や痛みを伴う財政再建をしたくないという願望から、取り沙汰されているのかもしれない。
 デフレで経済が低迷するとき、需要を喚起し雇用と所得を拡大するよう財政出動すべきというのは実は、古典的なケインズ経済学と同じだ。MMTに批判的な主流派経済学者も重視している。しかし、MMTでは不況期に限らず、平時でも財政出動が必要だという。財政出動の「出口」に対する認識が、主流派とMMTでは決定的に違う。
 主流派は財政出動を、民間企業や家計が活力を取り戻すまでの需要の底支え、つなぎ役と考える。政府支出もインフラ整備や教育投資など民間活力を高める分野を想定する。「好循環」が生み出せたら、財政健全化を進めなくてはならない。アベノミクスで実践している通りだ。
 一方、MMTは民間経済は回復しないものとして捉え、需要不足、つまり「カネ余り」現象は慢性的と考える。完全雇用の実現は、市場でなく政府の役割とし、赤字は増え続ける。その赤字は、中央銀行が貨幣を刷って国債を引き受ければ良いと主張している。
 それでは過度なインフレにならないかとの疑問がわく。MMTもインフレの発生は否定していない。発生したら歳出削減と増税で引き締めるという。まず歳出削減だが、緊縮財政への転換、減額補正は国会での議論が必要になる。加速した車は急に止まれない。急に緊縮財政に転換できるというのは楽観的すぎないか。強権的に押し通すなら財政民主主義に反する。
 次に、増税だが、ここで矛盾が生まれる。MMTは増税不要というのが主張だったはず。今は増税しないが、将来は必ず行うと言っているのと同義だ。また、これは、いつでもタンス預金にまで課税できる強力な課税権を持つ政府を前提としている。
 MMTが脱デフレの処方箋と見られる向きがあるが誤解だ。MMTはデフレ脱却ではなく、政府主導の経済の再構築、いわば「大きな政府」を志向している。財政政策の帳尻合わせに金融政策が使われ、中銀の独立性もない。リベラル派が陥りやすい強権化への道がここにある。
 日本がMMTの成功例という指摘があるが、明らかに誤りだ。確かに日本銀行は“異次元の金融緩和”を続け、国債を購入してきたが、物価上昇率2%という「出口」があり、国債購入はあくまで手段だ。MMTとは全く違うが、ただ取り組みが緩慢だと、MMT化すると言われればそうかもしれない。しかし、それは「リスク」だ。
 MMT論者からは、脱デフレをめざす日本がインフレを警戒するのはおかしいとの指摘もある。民間のカネ余り状態によるデフレは、お金の使い道がないのではなく、使うのが不安だからだろう。この将来不安は、財政危機も一因だ。MMTで財政赤字を拡大すれば、不安を助長することになる。
 一方、懸念すべきは賃金が上がらないことで、賃金デフレの解消が命題というのは事実だ。この背景には雇用の多様化があり、まさに構造問題。働き方改革、労働生産性の向上を強力に進めるべきで、MMTは処方箋たり得ない。
 総論すると、MMTとは、因果関係を究明する経済学ではなく、貨幣の流れだけを追う会計学に近い。だから、人々のインセンティブ(動機)という概念がない。MMTを実施したとき、例えば人々は価値が暴落する貨幣を持ち続けるか。外貨や、土地などの資産に変えたいと思わないか。そう動けば途端にインフレだ。人々の反応への配慮がない。これが怖い。わが国では、痛みを伴う財政再建が不要という“奇策”が幾つも流布してきた。留意すべきは、分かりやすく、耳に心地の良い主張が、必ずしも正しい処方箋ではないということだ。

さとう・もとひろ 1992年、一橋大学経済学部卒業、98年、カナダ・クイーンズ大学でPh.D.(経済学)取得。専門は財政学。政府税制調査会委員、経済財政一体改革(経済財政諮問会議)専門委員などを歴任。2019年、日本経済学会石川賞受賞。主な著書に『地方税改革の経済学』(日本経済新聞社)などがある。