中学校社会科地図(帝国書院編集部編)
中学校社会科地図(帝国書院編集部編):162ページ「日本の歴史遺産」
∪騎里砲覆詁本地図
赤水図:江戸時代に長久保赤水が作った地図です。伊能図より約40年早くつくられました。伊能図は幕府が一般に公開しなかったため、一般の人はこの地図(赤水図)を頼りにしました。(改正日本輿地路程全図)

 高萩市に生まれ、江戸時代に広く使われた日本地図を作った長久保赤水の功績が、初めて中学校の教科書に掲載されました。
 長久保赤水について掲載されたのは、今年度から使われている中学校社会科地図(帝国書院編集部編)です。
 日本地図の変遷を紹介するページ(「日本の歴史遺産」162ページ:∪騎里砲覆詁本地図)に、1780年に初版が出された赤水による初めての日本地図で、現在の経度と緯度にあたる線を記した「改正日本輿地路程全図」が、赤水の名前とともに掲載されました。
 説明文では、伊能忠敬が作った地図よりおよそ40年早く作られ、伊能図は幕府が一般に公開しなかったために、一般の人はこの地図を頼りにしていたと紹介されています。
 赤水図は収集した各地の資料から、天文学の知識を使って作られたのが特徴で、高萩市歴史民俗資料館に保管されている地図や文書は、去年、国の重要文化財に指定されています。
改正日本輿地路程全図
長久保赤水・改正日本輿地路程全図
 長久保赤水は享保2年(1717年)、茨城県高萩市赤浜の豪農の家に生まれました。還暦を迎えて藩主徳川治保の侍講となり、以後20年余にわたり江戸の水戸藩邸に居住しました。「改正日本輿地路程全図」をはじめ、世界図「地球万国山海輿地全図」などを著し、18世紀末を代表する傑出した地理学者です。
 「改正日本輿地路程全図」の初版本は、安永8年(1779年)に刊行されました。刊行された日本地図としては初めてです。1寸10里(129万6000分の1)の縮尺と、京都を基点に北緯31度から41度にかけて緯線を引き、緯線と直角に経線を引いた経緯線を示した点に特色があります。寛政3年(1791年)には、地名の修正加除を行うとともに、郡境、海上航路、潮汐考証などが追加されました。この増修定本の副題が付された再版本は、完成された「改正日本輿地路程全図」として高く評価されています。赤水没後も版を重ねるとともに、海賊版や模倣版が刊行されるなど、「改正日本輿地路程全図」は人気を博した日本図となりました。
 一般的に有名な伊能忠敬が作った地図より約40年早く作られ、伊能図は幕府が一般に公開しなかったために、一般の人はこの地図を頼りにしました。
 幕末の志士も、この赤水図を学んだといわれています。吉田松陰(1830〜59年)が兄に宛てた手紙には「これが無くては不自由」と、赤水図を旅に役立てていたことが記されています。
 赤水図には、隠岐諸島の北西に「松島」(現在の竹島)と「竹島」(現在の鬱陵島)が表記されています。江戸時代の日本で竹島が広く認知されていたことを示す証拠の一つとなっています。太平洋戦争後、連合国軍総司令部(GHQ)の統治下にあった昭和22年、外務省が竹島の領有権を米国に主張した文書には、この赤水図の拡大図が添付されていました。