田内広・茨城大学大学院理工学研究科教授
 4月13日、政府は東京電力福島第1原発から出る放射性物質トリチウムを含む処理水について、十分に希釈した上で2年後をめどに海洋放出する方針を決定しました。
 健康への処理水の影響や、漁業者らに寄り添う風評対策の重要性について、政府の「処理水の取扱いに関する小委員会」委員を務めた田内広・茨城大学大学院理工学研究科教授のインタビューを、4月20日付けの公明新聞より掲載します。

田内広教授 政府の小委員会では昨年2月、処理水の処分方法は国内外の規制や技術などの面から海洋放出か大気放出しかないと結論付けた。こうした問題は時間の経過とともに解決が難しくなるし、方向性を決めないと具体策も打てない。今回の決定は、政治が責任を取る決断をしたという意味で評価できる。

■そもそもトリチウムとはどんな性質を持つのか。
田内教授 トリチウムは、宇宙から降り注ぐ「宇宙線」と大気中の窒素などが反応して地球上に自然に発生している。「三重水素」とも呼ばれる放射性物質で、水のかたちで川や海などに含まれている。トリチウムが放出する放射線「ベータ線」は弱くて、水中では約1000分の5ミリメートルしか進むことができず、皮膚を通過できないため、外部被ばくは起こらない。
■トリチウムを体内に取り込んだ場合の影響は。
田内教授 私たちは食事や呼吸などでトリチウムを取り込んでいるが、ほとんどは水と同じく体外に排出されている。雨水や水道水、飲料水などにも含まれ、例えば、雨は1リットル当たり約1ベクレル、お茶なら0.5〜1ベクレルほどだ。体内で蓄積して濃縮することはないため、魚などを食べても影響を問題視するレベルにはならない。
放射線の影響を考える場合に大事なのは、時間当たりの被ばく線量だ。
国の基本方針では、海洋放出前に処理水のトリチウム濃度を基準値の40分の1程度に薄めるとしている。国の基準値である1リットル当たり6万ベクレルというのは、1年間毎日2リットル飲み続けても被ばく線量は1ミリシーベルトを下回る濃度だ。1ミリシーベルトは1年間に自然界で受ける被ばく線量とほぼ変わらない基準で、健康影響は見えない。そこからさらに40分の1に薄めるというのは、政府が、より影響に配慮した結果だろう。
ちなみに、40分の1に薄めた水を飲み続けた場合の年間被ばく線量は、レントゲン写真を撮る場合の半分ほどに相当する。実際に放出された後は、海中でさらに薄まるから、もう、ほとんど分からないレベルになる。

■風評対策の具体化が重要、漁業者らの風評被害を不安視する声にどう対応していくべきか。
田内教授 漁業者らが風評を懸念するのは当然だろう。実際に放出する2年後までに、丁寧な説明を尽くすのはもちろん、いかに販路や流通を確保するかなど、福島の産業を守るための具体策を明示することが求められる。放出準備の状況など、情報をオープンにする体制づくりも大事だ。 また、放出を始める前後の海洋モニタリングを、国や東電だけでなく第三者が入って検証し、客観性と透明性を担保することが重要になる。いずれも信頼がカギであり、政治の責任としてしっかり対応してほしい。

国内外の原子力施設からのトリチウムの年間放出量
■近隣諸国からは懸念の声が上がっている。
田内教授 トリチウムは、世界の原子力施設でも各国の排出基準に基づき海に流されている。例えば、韓国の古里原発では年間50兆ベクレルといった具合だが、各国で環境影響は確認されていない。
彼らが懸念を示す言い分の一つに、処理水にはトリチウム以外の放射性物質も含まれているという。これについて政府は、処理水を再処理して、トリチウム以外の放射性物質は検出できないレベルにして放出すると約束しているので当てはまらない。とはいえ、懸念の声には客観的な情報を出しながら、粘り強く説明していくしかないだろう。

田内広(たうち・ひろし)茨城大学教授
1962年広島市生まれ。広島大学大学院理学研究科修了。公立高校教諭を経て、広島大学原爆放射能医学研究所助手、茨城大学理学部教授。2018年4月より茨城大学理学部長。専門は放射線生物学、腫瘍生物学。
なお写真は、2012年4月27日、茨城県議会常任員会で参考人として意見を述べる田内教授です。茨城県議会公明党は、同年3月14日にも、福島第1原発事故にに関して、放射性物質の人体への影響について、聞取り調査を行いました。

トリチウムの海洋放出:現状世界31カ国・地域で実施/基準以下に希釈、安全性を担保
 福島第1原発では、原発事故で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)を冷却する際に放射性物質を含んだ汚染水が日々、発生しています。処理水は、汚染水から多核種除去設備(ALPS)でトリチウム以外の、ほとんどの放射性物質を取り除いた水を指します。敷地内で1000基超のタンクに保管していますが、来年秋にも満杯になるとされています。
 政府が決めた基本方針では、処理水をALPSで再処理した上で海水で100倍以上に薄め、トリチウム濃度を1リットル当たり1500ベクレル未満にして放出します。国の基準の40分の1程度、世界保健機関(WHO)の飲料水基準の7分の1程度に相当する水準です。最初は少量ずつ放出し、海洋での環境影響を監視する。放出は30年以上続く見通しです。
 2年後をめどに放出するトリチウムの総量は、事故前の福島第1原発の放出上限である年間22兆ベクレルを下回る水準にしました。トリチウムの海洋放出は国内外で実績があり、世界の31カ国・地域の原子力施設で実施されています。
 また、販路開拓や観光客の誘致など最大限の対策をした上で風評被害が生じた場合は、地域や業種などを限定せず賠償するよう政府が東電に求めます。海洋放出の影響分析では、環境省が新たにトリチウム濃度のモニタリングを実施。これに地元自治体が参加するほか、国際原子力機関(IAEA)の協力も得て透明性を高めるとしています。