「大黒柱に車をつけよ」とは、日本最大の流通グループに成長したイオン創業家の岡田家の家訓です。
大学を卒業し、茨城に戻った私は、地元の老舗百貨店「伊勢甚」に就職しました。伊勢甚は、その数年前、生き残りを懸けイオングループ(当時はジャスコ・グループ)に加わりました。私も、正式には“ジャスコ採用、伊勢甚百貨店配属の2期生”という形でした。
それから、伊勢甚はイオングループの中で“ボンベルタ伊勢甚”と名を変え、1985年に日立新店(神峰町)に出店。しかし、売上が伸びず2005年5月20日に閉店しました。(私は、1994年7月に県議選に挑戦するために退職しました)
その後、ボンベルタ伊勢甚は“さくら日立”という複合商業施設として、2006年11月11日に再オープンしました。しかし、この店舗もリーマンショックの直撃を受けて、2008年10月3日、閉店を余儀なくされました。伊勢甚が出店していた店舗は解体され、食品スーパーカスミが、新たに「フードスクエア日立神峰店」として出店し、現在に至っています。
一方、1月16日に閉店したイトーヨーカドー日立店。日立市が手掛けた日立駅前再開発事業の中核商業施設として1991年10月にオープンしました。当初は年間売り上げが120億〜130億円ありましたが、2008年度から赤字状態に陥り、コロナ前には30億〜40億円まで売り上げが減少したいわれています。
郊外型ショッピングセンターの増加やネットショッピングの隆盛などに加え、新型コロナウイルスによる打撃が重なり、遂に閉店に至りました。
コーカドーが立地したは、1908年から1960年までの間、国鉄日立駅(開設当初は日本鉄道助川駅)と大雄院(だいおういん)駅を結び、物資や人員の輸送を担っていた日立鉱山専用電気鉄道(いわゆる鉱山電車)の拠点駅で、総延長6kmの専用線と、精錬所で製造された硫酸等の貯蔵施設や資材置場が広がっていました。
まちの中核拠点として親しまれた商業施設が閉店すると、多くの市民からは閉店を惜しむ声が寄せられます。しかし、冒頭の岡田家の家訓にあるように、事業者の基本的な考え方は「大黒柱に車をつけよ」(不採算店は閉めて、採算性が見込めるところに出店せよ)と言うことなのです。
消費者(お客様)は、わざわざ不便な店舗に買い物に行くことは絶対にしません。その、消費者の動向が変化するのですから、大型店舗は、その動向に合わせて変化するのは当たり前です。
こうした、事業者の基本を理解せずに、旧態依然とした駅前開発に過大な投資をした行政の在り方は再検証すべきだと思います。
ヨーカドー日立店は、その出店から日立という地域性にマッチしていないのではないかと、流通関係の専門家からは言われてきました。むしろ、今まで営業を続けてきたヨーカドーや施設を所有する金融機関に感謝すべきだと思います。
「無印良品」を核とする新たな店舗展開が噂されています。
水戸の無印の店舗を見て、素晴らしいと思いますが、果たして、日立駅前にあのような店舗を出店して、地元のニーズに合致するのでしょうか?
行政は、もっと勉強すべきです。中堅のスーパー、量販店でも勢いがある企業はたくさんあります。
このブログに掲載したイトーヨーカドー日立店の写真は、昨年(2021年)6月に撮影したものです。ボンベルタ伊勢甚の閉店セールの写真は、2005年5月18日に撮影しました。