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■欧米などでは、行動制限緩和の動き加速
 欧米では、新型コロナ感染対策の行動制限などを緩和する動きが加速しています。アメリカでは、ニューヨーク州でマスクの着用義務がなくなった今年2月以降、マスク解除の動きが広がり、全土で着用義務が撤廃されました。イギリスは2月、感染防止を目的にイングランドで施行されてきた規制を全て撤廃しました。ドイツでは3月、公共交通機関などを除き、マスク着用の義務を大幅に緩和。フランスも3月、飲食店や劇場などでのワクチン接種証明書の提示義務を解除しました。韓国は4月、コロナ対策の国内規制を全面的に解除し、飲食店の営業時間制限などを撤廃。今月2日からは屋外でのマスク着用義務を原則解除しました。
 一方日本では5月5日、岸田文雄首相が「専門家の見解を踏まえ水際を含む対策を6月にも段階的に見直し、日常をさらに取り戻していきたい」と、規制緩和に意欲を示しています。
 行動規制が3年ぶりになかったGWが明け、今後の新規患者数の増減が気になると事です。

 2年以上続く新型コロナのパンデミック。変異株「オミクロン株」の感染も収まらない中、収束への道筋はどう描いていけばよいのか。今後の“出口戦略”について、公明新聞(5月8日付け)より長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授の話しと、日本医師会中川俊男会長のコメントから整理してみました。

■“収束”の判断に明確な基準なし、国民的合意で決定/早ければ年内にも以前の生活に
 何をもってパンデミックの“収束”と判断するのか明確な基準があるわけではありません。「インフルエンザ並みの致死率」を目安にするとの意見もありますが、科学的な根拠はなく、これが社会的に許容される基準かどうかは分からりません。
 感染症の歴史的な知見を踏まえれば、皆が「終わった」あるいは「終わったことにする」と思った時が収束となります。つまり、人や社会の合意(コンセンサス)によって決まるということです。
 例えば、コロナ禍の初期の頃は、感染者が1人出るだけで日本社会は大騒ぎになっていましたが、今では明らかに感染自体への受け止め方は冷静になりつつあります。こうした流れの中で、収束に向け、行動制限を緩和・解除し、社会経済活動を正常化していく歩みを進めていくべきです。
 国内では、この動きが、早ければ今年の夏から秋にかけて顕著になり、年内にも以前の生活に戻ろうという状況が訪れるのではないかと思慮されます。
 諸外国では行動制限の緩和を進める国も少なくありません。これは、社会の合意や国民の価値観の違いによるものです。欧州では日本を上回る新規感染者数が出たとしても、屋内でのマスクの着用義務を解除するなど規制撤廃が行われている国は数多くあります。
 特にウクライナ危機は、コロナ禍よりも優先すべき問題として捉えられており、コロナ収束への社会的・国民的な合意の形成が加速しているように思われます。
 一方、中国では、わずかな数の感染者でも社会が許容できず、ロックダウン(都市封鎖)で押さえ込もうとする“ゼロ・コロナ政策”を堅持しています。非常に対照的な対応です。
■カギ握る治療薬の実用化
 社会的合意形成に重要なものは何か?社会がコロナを許容していく最大のカギを握るのは、治療薬の開発に他なりません。
 インフルエンザは毎年、多くの人が亡くなっている感染症ですが、治療薬があるため、ある程度、社会がそのリスクを許容し、社会経済活動を止めるまでには至っていません。今後、より効果的で使いやすいコロナ治療薬が開発されれば、安心感も高まり、人々のコロナに対する考え方は大きく変わっていくはずです。

■相次ぐ変異株の発生は社会に定着していく過程/重症化の恐れ低下「後遺症」は重大な課題
 コロナウイルスは遺伝子構造上変異しやすく、その変異の繰り返しは、ウイルスが社会に定着していく過程と考えられます。
 実際、多くの日本国民が2回のワクチン接種や自然感染により免疫を獲得する中、オミクロン株は、デルタ株よりも感染力が強いのですが、重症化は抑えられています。
 今後、新たな変異株が現れたとしても、重症化する恐れは低いと言えるのではないでしょうか。
 仮に、今までの新型コロナウイルスの免疫が効かないとすれば、それは新たな型のウイルスが出現したと考えるべきです。一連のコロナ対策の枠組みの中で捉えるべきでははありません。

 感染者が増える中で、療養を終えた後も体の不調が続く「コロナ後遺症」が問題になってきています。後遺症の問題は出口戦略を描いていく上で重大な課題の一つとして立ちはだかってきます。実態がまだよく把握されておらず、どう対処するのか、早急な実態の把握と対応策の議論が必要です。
 コロナ後遺症のリスクを社会が許容できないとなれば、厳しい対策に戻さざるを得ません。後遺症の治療法の確立が急がれます。

今後の“戦略”は、多様な意見の包摂が大切/ウイルスと穏やかな共存めざせ
 「コロナ後」を見据えた出口戦略を議論する上で重要なことは、経済を最優先する考えもあれば、厳しい感染予防対策を堅持する考えもあります。どちらかが間違っているわけでなく、両方とも正しいといえます。多様な意見でも、それを包摂して議論することが求められるのです。
 日本は社会全体で自粛や行動制限の対策を取ってきたこともあり、欧州と比べて国内の感染者・死亡者はかなり少数でした。「人の命を大切にする」考えが社会の根底にあるためで、そこを踏まえた議論が大切です。
 ただ、人の命を守るために、大きなコストを払っているという認識を忘れてはなりません。特に、子どもたちは、この2年間、休校や行動制限など学校生活で多大な負担を強いられてきました。発達や成長に大きな影響を与えているとことが危惧されます。
 そもそも地球上には、何億というウイルスが存在し、人間が病気を引き起こすのは、そのうちのごく一部にすぎません。安易に排除すれば、新たな感染症が発生する余地を与えてしまいます。中長期的に見たときに、穏やかにウイルスと共存していく方が人類にとって望ましいことです。
 一方、感染症による死者が出てもいいのかといえば、それは違います。コロナ禍で「同居する祖父、祖母を亡くした」という人も少なくありませんでした。そうした一人一人の“小さな物語”とどう向き合っていくべきかという問いに対し、真剣に向き合っていかねばなりません。
 最終的にどこで折り合いを付けるかは、政治の役目です。議論を尽くし、批判を恐れず決断することが必要です。

■感染症法上の取り扱いも重要な出口戦略/現状を維持し5類移行は慎重に
  新型コロナを第5類にすべきという意見もあります。日本は、諸外国のようにロックダウンなどの強制力を伴う措置は取ってきませんでしたが、人口100万人当たりの死亡数は、米国2951人、イタリア2646人、英国2429人、フランス2114人、ドイツ1550人、カナダ991人であるのに対し、日本224人(4月5日現在/Our world in data)と、G7諸国の中で抜群に低くなっています。
 新規感染者が最大になった時に、新規感染者数に対してどれだけ入院できるかという指標は、現時点で、日本はイギリスやフランスの約3倍、アメリカの1.5倍。日本は多くの患者を入院施設で受け止めた結果、医療現場は、まさにぎりぎりの状態で逼迫しつつも、しっかりと患者を守ってきました。
 また、コロナ禍の中でも日本は平均寿命が延びました。G7の中では日本だけです。日本人の公衆衛生意識の高さと医療従事者の献身的な努力によるものです。
 一方で、現在の国内の感染状況は、高止り感が払拭できず、新型コロナの収束が近づいてきているとはとても言えません。
 また、これまで第4波がアルファ株、第5波がデルタ株、第6波がオミクロン株といったように、新型コロナは変異株の出現と流行を繰り返しています。
 新型コロナは、国内発生当初の「指定感染症」のいわゆる2類相当から、2021年2月に「新型インフルエンザ等感染症」に位置づけられました。2020年10月には既に、入院の基準を原則全員から重症者あるいは重症リスクのある人とし、それ以外は自宅療養・宿泊療養を可能としました。2022年3月16日には、オミクロン株が感染の主流の間は、自治体の判断で濃厚接触者の特定を行わないことを可能としました。
 このように、現在の「新型インフルエンザ等感染症」という分類を維持しつつも、状況に応じて、感染対策と社会経済活動を両立させる対応を取ることが可能となっています。
 一方、5類にすることで、保健所の負担は軽減されるものの、感染状況の正確な把握がしにくくなるほか、感染者の健康状態の報告や感染拡大時の外出自粛等の要請・入院措置、検疫の隔離措置ができなくなります。さらに医療費の公費負担の根拠がなくなり、医療費の自己負担が生じるため、医療機関を受診せず、感染がさらに拡大してしまう懸念もあります。
 こうした状況から日本医師会は、政府のウィズコロナに大きく舵を切る方向性を理解した上で、感染分類については、感染爆発を未然に防ぐという国家としての危機管理の観点から、一気に5類にするのではなく、現状の分類のままで、状況の変化に応じて運用や対応を見直すべきで、新型コロナの扱いを緩和する議論は慎重に行うべきだと主張しています。