田原総一郎氏
 評論家・田原総一郎氏が「“宗教のための人間”か“人間のための宗教”か」とのテーマで、聖教新聞(11月6日付け)にインタビュー記事を載せています。
 この中で、特に注目したいのは「宗教の“排除の壁”」に触れた部分です。
 少し長文ですが引用します。
 本来、その生きる軸となるべきものが宗教であったはずです。そうした時に起きてしまったのが安倍晋三元首相の銃撃事件でした。
 容疑者は、母親が団体に家庭を破綻させるほどの献金をしたと供述しています。この母親にとっては、いわば生活を犠牲にすることが信仰の強さを示すものとなっていた。
 まず言いたいのは、目的や手段を間違った宗教は、いつか深刻な事態を引き起こすという点です。極端な話ですが、宗教には、ともすれば人を殺めたり傷つけたりすることを正当化するような教義を持つものもある。また、信仰心が強いほど、他の宗教を認められなかったり、排除しようとしたりすることもある。宗教には、そのような怖さや危険性があることを知っておかなければならない。
 こうした、いわば「排除の壁」というものに、宗教はどう向き合うのか。果たして宗教はこの壁を乗り越えていけるのか。そこに僕は注目してきました。
 僕は、戦後初期の創価学会も、この宗教における「排除の壁」という問題に陥っているのではないかと感じていました。信仰への確信ゆえに、自分たちと異なる意見を認めることができない、だから民主主義とも相いれないと思っていた。公明党が誕生し、政界に進出した時も、この矛盾をどう解消していくのか注目していたんです。
 でも池田大作会長(当時)は、その壁を克服した。創価学会が現在のように発展できた理由は、三つあると思っています。
 まず、言論・出版問題(1970年ごろ)をきっかけに、それまでの在り方を見直して、機構改革などに取り組み、より近代的な組織として生まれ変わったこと。地域に根差し、親しまれる創価学会を目指して、社会との関係を構築していくようになりました。
 二つ目に、宗教的な寛容性の高まり。初期の創価学会では、他の宗教を時に「邪宗」と言い切るなど、攻撃的、排他的な部分があったが、70年の本部総会で会長は、弘教において行き過ぎの絶対にないよう、道理を尽くした対話であるべきことを確認しています。「邪宗」という言葉も「他宗」へと変わっていきました。
 三つ目に、「人間あっての宗教」と言い切ったこと。池田会長は「仏教史観を語る」という講演(77年1月)で、「“宗教のための人間”から“人間のための宗教”への大転回点が、実に仏教の発祥だったのであります」と述べています。
 「人間あっての宗教」ではなく、「宗教あっての人間」となれば、人間が宗教の手段になってしまい、やがては生活や人生、家族を破綻させかねません。その意味からも、この池田会長の言葉は、宗教の在り方を問う普遍性のある指摘です。僕は、よくぞ言ってくれたと思っています。
 この講演では「仏教はいかにあるべきか」について語っていますが、これは日蓮正宗、つまり宗門の激しい怒りを買い、第1次宗門問題のきっかけともなりました。やがて池田会長は辞任を余儀なくされ、名誉会長となります。部外者として見れば、会長辞任は敗北にも見える幕引きです。しかし名誉会長は、さらなる世界広宣流布へと踏み出す好機と捉えていきました。
 名誉会長は宗門問題以前から、宗教間の対話にも意欲的で、むしろ対立するような思想の人とも、忌憚なく本音で語り合うことを是としてきた。そうした対話もさらなる広がりを見せていきます。
 振り返れば、言論・出版問題や宗門問題といった窮地に、創価学会は何度も直面してきた。そのたびに誰もが、創価学会は間違いなく衰退すると予測しました。僕もその一人です。でも創価学会は、その推測を見事に裏切り、その都度、驚くべきエネルギーをもってピンチをチャンスに変え、逆境を乗り越えてきた。この過程で、創価学会は「人間のための宗教」として成熟し、宗教における「排除の壁」をも乗り越えた。これはとても大きい意義を持つし、僕の見る限り、他には成し遂げられなかったことだと思うんです。