
池田先生は、1928年1月2日、東京・大田区に生まれました。47年8月14日に戸田城聖創価学会第2代会長と出会い、創価学会に入信。戸田先生の後を受け、60年5月3日、第3代会長に就任しまし。75年からSGI会長を務め、79年に創価学会名誉会長に就任しました。
公明党の前身である公明政治連盟(公政連)の結成を提唱し、1962年9月13日に行われた第1回公政連全国大会で講演。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との不変の立党精神を示されました。
池田先生は、1968年の東京の創価中学校・高等学校開校より、関西創価中学校・高等学校、札幌創価幼稚園、東京創価小学校、関西創価小学校を設立しました。1971年には東京都八王子市に創価大学を創設しました。私も、創価高校、創価大学の5期生として、草創期の創価教育の学び舎で、池田先生の様々な励ましをいただきました。
各界の指導者・識者らと対話を重ねながら、世界に平和・文化・教育のネットワークを広げきました。国際交流を積極的に行い、中国の周恩来元首相や米国のキッシンジャー元国務長官、ソ連のゴルバチョフ元大統領、キューバのカストロ元議長ら著名な海外の要人と会談、友好を深めました。2008年5月には来日した中国の胡錦濤国家主席と会談しました。
平和運動に尽力し、毎年1月26日の「SGDsの日」に寄せて平和提言を発表しました。特に、SDGsの推進については早くからその重要性を強調し、先進的な役割を果たしました。今年は、ウクライナの平和回復や核兵器の使用と威嚇の防止などで緊急提言を発表しました。
主な著書に、小説『人間革命』(全12巻)、『新・人間革命』(全30巻)、『二十一世紀への対話』(英国の歴史学者トインビー博士との対談)など多数があります。
公明党の立党精神「大衆とともに」の淵源となった公政連第1回全国大会での党創立者・池田大作先生のあいさつ(抜粋)を、公明新聞(2023/11/20付け)から引用します。
公政連第1回全国大会での池田大作先生のあいさつ
本日は公政連の結成式、誠におめでとうございました。私は三つのことについて、同志の皆さん方に望むものであります。
その第一は、生涯、永久に、公政連は団結第一でいっていただきたいのであります。歴史を振り返ってみて、功成り名を遂げ、ある一定の段階に入ると、必ず派閥になっていくことが歴史的必然であります。したがって、あくまでも民衆の政治連盟として、政治団体として、政治結社として、第一にも第二にも、最後の最後まで団結をしきっていっていただきたいことを望むものであります。
大政治団体になり、また皆さん方が、一流の名士になり、派閥や、反目のあるようなことが、もしも、毛筋でもあったならば、即座にわが政治連盟は大衆の政治団体ではない、そういう資格はないとして、解散をすべきであるということを、私は本日第一回の大会において、言い残しておきたいのであります。
第二番目に申し上げたいことは、最後の最後まで、生涯、政治家として、そして指導者として、大衆に直結していってもらいたい。偉くなったからといって、大衆と遊離したり、また大衆から離れ、孤立して、組織の上にあぐらをかいたり、そういう、いままでの政治家にはなっていただきたくないのであります。
大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいく。全民衆のために、どうか、公政連の同志の皆さん方だけは、大衆の中の政治家として一生を貫き通していただきたい。かく切望するものであります。
第三番目にお願いしたいことは、政治の面の勉強、あらゆる知識の吸収、または、いろいろな指導者と会っての勉強、さまざまな勉強をしきっていただきたい。月々年々、自己を研さんし、大指導者にふさわしく、大政治家にふさわしいように、大成長を図っていただきたいのであります。
自らを成長させつつ、次の青年に、次の同志に「しっかりあとは頼むよ」、そういうふうに言えるような、先輩になっていただきたいのであります。私利私欲にとらわれ「もう自分は政治家なのだから、後輩なんか育てる必要はない。選挙さえ当選すれば食っていけるのだから」…そういうような、卑しい生き方ではなくして、どこまでもどこまでも成長し、そして後輩を育てていく、後輩に道を譲っていくといえる、そういう政治家であり、指導者になっていただきたいことを切望するものであります。
どうか、最後に、私は皆さま方の同志として、そして選挙民として、全員が堂々と民衆のために戦っていけるように、一生懸命、この身を惜しまず、選挙に立たない同志と一緒に、皆さん方を応援しますから、皆さん方も安心しきって、戦いきっていっていただきたい。かくお願い申し上げまして、私のあいさつとさせていただきます。
1962(昭和37)年9月13日 公政連第1回全国大会 豊島公会堂