中村喜四郎氏の不出馬を報道した茨城新聞
 衆議院小選挙区茨城7区の中村喜四郎衆議院議員引退の報道が、昨日から相次いでいます。
 9月21日には読売新聞の地方版が最初に報道。22日の茨城新聞は、週明け24日に会見を開き、引退を正式に表明するとしました。
 若くして建設大臣を務めた自民党のホープでしたが、ゼネコン汚職事件で逮捕され、自民党を離党後は無所属での当選を続けてきました。前回の衆院選で立憲民主党から立候補し、小選挙区では初の落選を経験し比例区で復活。議員活動を続けてきました。
 自民党中選挙区時代は、茨城3区で公明党の議員とも競い合う関係でした。無所属となって、過去3回の選挙戦では、公明党は中村氏を推薦し共に戦った経験もあります。最後は共産党の支援も受け、立憲からの立候補となり決別しました。
 政治とカネの問題が大きくクローズアップされるであろう次期総選挙、中村議員にとって大きな決断のきっかけとなりました。
重要な更新
 9月26日、次の衆議院選挙の茨城7区に、政界引退を表明した中村喜四郎衆議院議員の長男で、茨城県議会議員の中村勇太氏が無所属で立候補することを表明しました。中村氏は境町出身の37歳。
茨城新聞より引用(2024/9/22付け)
 立憲民主党の中村喜四郎衆院議員(75)=比例北関東=が次期衆院選に立候補しない意向を固めたことが21日、関係者への取材で分かった。国会議員では小沢一郎衆院議員(比例東北)の当選18回に次ぐ15回。24日に会見を開き、正式に表明する。後継候補には、長男で茨城県議の中村勇太氏(37)の名前が挙がっている。
 複数の関係者によると、中村氏は19日、関係者に次期衆院選に出馬しない意向を伝えた。今年に入ってから、自身の年齢などを踏まえ、周囲に「進退を考えている」などと話していた。
 中村氏の両親はともに参院議員を務めた先代喜四郎氏と登美氏。田中角栄元首相の秘書を経て1976年の衆院選に無所属で初当選した。自民党で建設相や科学技術庁長官、党総務局長などを歴任した。94年のゼネコン汚職事件で逮捕され、実刑判決が確定して失職したが、2005年の衆院選で無所属で出馬し、返り咲いた。
 選挙区では、自民党の永岡桂子氏と05年以降、過去6回にわたり激しい選挙戦を繰り広げた。後援会「喜友会」とともに、「党より人」を掲げ、選挙戦ではバイクで選挙区内を巡る独特のスタイルを貫き、支持を得てきた。巧みな選挙戦略と地盤の強さを誇り、「無敗の男」と称された。
 17年の衆院選まで選挙区で計14回当選。21年の衆院選で立民から出馬した。自民の永岡氏に僅差で破れ、比例復活していた。
 立民では野党共闘を訴え、「与野党伯仲」の実現に力を注いだ。陣営関係者は「いつも国のことを考えていた。そのためにも与野党伯仲を実現させるという強い思いを持っていた」と振り返る。
 不出馬の意向に、初当選から支援してきたという喜友会の男性(81)は「代議士にほれ込んで今まで応援してきた。寂しい思いがあるが時代の流れではある。仕方がない」と受け止めた。親族の一人は「気力、体力とも充実しているが、(引退は)後継を考えてのことではないか。本人がきちんと説明すると思う」と語った。